千里の道も一腑から             
             
1999.5.13


レルネット主幹 三宅善信

思っていたより早くというか、昨日、「臓器移植法」制定後第2例目の「脳死」提供者からの臓器移植が実施された。去る2月28日に、高知赤十字病院で臓器移植を前提にした「脳死判定第1号」が行われてから74日目に当たる。高知のドナーの満中陰(四十九日法要)当日に上梓した4月18日付の拙エッセイ『It's Automatic:聖なる心臓交換』において、世間では次々と大事件が起こるので、国民の脳死臓器移植問題への関心も「人の噂も七十五日」と書いたが、文字通り、ギリギリで間に合った感がある。この問題は、そう簡単に忘れ去られ(なし崩し的国民合意が形成され)ては困るからである。

しかも、今回の「脳死」は、第1号になるとは「予想もしていなかった」地方都市の一病院などではなく、「手ぐすね引いて準備していた」首都東京の名門慶應義塾大学病院である。それだけに、移植関係者の心意気が違うというもんだ。脳死判定の手続きに瑕疵(かし)があったり、マスコミ対策で混乱した高知赤十字病院の教訓を十分活かして、当の慶應病院はいうまでもなく、厚生省も臓器移植ネットワークも「どうだ」と言わんばかりの自信満々だ。そこで、今回のタイトル『千里の道も一腑から』を見ただけでオチ(結論)がピンとくるようだと、拙エッセイ集『主幹の主観』を相当読みこなしてくれているリピーター(常連客)と見た。

実は、私が渉外担当の理事をしている大阪国際宗教同志会という団体の6月に行われる例会に、わが国の生体肝移植の第一人者として知られ、数百人の肝臓移植を手がけてこられた京都大学医学研究科移植免疫医学講座主任教授の田中紘一先生を講師として迎え、『移植医療の現場は、今…』の講題のもと、移植医療の第一線で多くのケースに遭遇した医者の観点から「現場」の声を聞かせてもらい、併せて、宗教者の声を「現場」の医師に届ける機会にしたいと思って、講演会をセットしたばかりだったので、あまりのグッドタイミングに、自分自身で驚いたくらいだ。


▼「死」こそがヒトを人間たらしめる

「人間と他の動物との違いはどこにあるか?」と訊かれたら、私は迷わず「人間とは『死』を主体的にも、客観的にも認識しうる存在である」と答える。学生時代に習った「直立二足歩行」や「道具を使う」や「コミュニケーションの手段として言語体系が確立されている」等の「ヒトの特徴」が、すべて人間独自の専有物でないことは、最近の動物行動学が明らかにしているところである。ペンギンだって「直立二足歩行」だし、類人猿は明らかに「道具」を作って、これを用いている。コミュニケーションとしての言語ならクジラやイルカの方がよほど進んでいるのかもしれない。しかし、これらの動物たちが、死んだ家族を埋葬したり、やがて訪れるであろう自分の死について思い悩んだりしたということは聞いたこともない。ところが、ヒトだけは、古今東西を問わず原始人の時代から死者を埋葬しているではないか。つまり、「死」を問題にした時から、動物の一種に過ぎなかったヒトが人間になったと言っても過言ではない。

その意味では、旧約聖書の『創世記(Genesis)』の神話は間違っている。「神が最初に天地・昼夜・陸海を造り、次に動植物その他の生物を造り、最後に自らの姿(Imago Dei = Image of God)に似せて人間(Adam)を造ってこれらの全てを支配させ、創造の業を祝福した神は七日目に休まれた」という話のどこがおかしいかというと、最初に天地自然動植物が(自立的に)できて、その最後の方にヒトができて(ここまでは概ね聖書の話と同じである)、そのヒトがある日、自らの姿(Imago Homi = Image of Human)に似せて神(的存在)を創り出したのである。その証拠に、欧州人の描く神は皮膚の色が白いし、アフリカ人の描く神は色が黒い。もし、この世に「想起する動物」であるヒトがいなければ「神」など存在する余地もないのは明らかだ。だからといって、私は「神」の存在を否定するものではない。否むしろ、それ故「神」は人間存在とは切っても切り離せない、ヒトが人間であるための極めて根元的な要素である。

古来より、「死」はさまざまな形で、人間精神の形成に関連してきた。「死」こそが人間の「生」を生たらしめ、「生」を意味づけるものであるとともに、「死」をどのように受容するかという「死への対応」が人間を人間たらしめているものであると言える。これらの問題に対して「納得のできる説明」を付与する装置として、宗教というものが発明されたのである。古今東西、宗教ほど「死」の問題と密接に関わってきたものはない。ニューギニアの「未開人」から先進国に住む人々まで、葬送儀礼のない文化はあり得ないことがいい証拠だ。いかに自分や身近な人の死を受け容れ、いかに死ぬかは、人間にとって切実な問題である。


▼「脳死」はひとつの「方便」

ところが、今世紀における「遺伝子(Gene)」の発見とその構造(DNAの二重螺旋構造)の解明や免疫システムの理解に象徴される分子レベルでの生命活動の原理が明らかにされることによって、崇高な「いのち営み」の神秘は、安物の「機械生命論」に取って代わられた。そして、人類始まって以来、宗教の専売特許であった「死」の問題も、科学的に解明(定義)された個体としての生命現象の単なる不可逆的な終了へと矮小化されてしまった。「死」はいまや、自然の営みではなくなって、ほとんど人工的な営みのひとつになっている。その証拠に、ほとんどの日本人は、「住み慣れたわが家」で家族に囲まれてではなく、「病院(他律的な治療行為の下)」で医療関係者に囲まれて死ぬ。

医療技術の目覚ましい進歩は、人間の誕生から死に至るまでの自然過程に、特にその生命の始まりと終わりの場所に遠慮もなく土足で踏み込み、選択(体外受精や出生前診断)・治療・延命という名の人為的、機械的介入と操作を行うようになった。そのことによって、生命の始まりと終わりの場所が拡大し、拡大したことによって、さらに拡散する結果となった。そのため、従来誰もが疑問を持たなかった誕生と死が不透明なものになってしまった。

いわゆる「脳死」の問題もそのひとつである。昨今の「臓器移植法」の制定は、脳死者からの臓器移植を可能にする(執刀医が殺人罪に問われない)ために、ドナーカードによって予め臓器提供の意志表示していた脳死者のみを法律的に「死んだこと」にするというだけのことである。科学的には、「脳死」は「死」へと向かうプロセスの一段階に過ぎない。何も「脳死」や「心臓死」だけが「死」ではない。土葬後、1カ月程して掘り返したら、埋葬者の頭髪や爪が伸びていたという話を聞いたことがある。全ての細胞が活動を停止するのにはかなりの時間がかかる。一方、「生きている」間でも、細胞レベルでいえば、毎秒数百万個単位で古い細胞が「死んで」新しい細胞と入れ替わっている(アポトーシス)というではないか。したがって、「脳死」はあくまで「方便」(『生命進化と方便』に過ぎない。

現在、一般にわれわれが使っている「方便」という言葉は、「目的を遂げるために用いる便宜の手段」という意味であるが、「方便」を現すサンスクリット語のupayaを辞書で引くと「近づくこと。目的に近づく方法」とある。密教の経典である『大日経』では、「三句の法門」において、「一切智々は何を因とし、何を根とし、如何究竟(くきょう)するか?」の問いに「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とす」と答えている。方便とは、智と悲の具体化であり、智悲は方便において初めて現実となる。つまり、臓器移植とは、具体的な技術(智恵)を有する医療集団と、「なんとしても延命したい(大悲)」という患者・家族とによる方便としての治療行為の具現化である。仏典が説くように、方便とは手段そのものが目的化するあり方なのである。


▼「関係性」の観点から

「生」や「死」の問題は、単なる科学的・生物学的事実としてだけではなく、同時に、優れて社会的・文化的営みであるということは言うまでもない。「生」がさまざまな側面を持ているように、「死」も多角的である。「死」がどのような側面を露にするかは、それを眺める視点によって異なってくる。「自己」と「他者」との関係性において「死」の問題を考えてみるとき、「死」とはまさにこの「関係性の断絶(Ruptor Relationis)」として現れる。自己の側からも、他者の側からも、関係性の断絶は共同性・連帯性の破綻である。そこで、「自己」と「他者」との関係性において、以下の4つの類型から「死」の問題を考えてみることにする。すなわち、@自己にとっての「自己の死」、A自己にとっての「他者の死」、B他者にとっての「自己の死」、C他者にとっての「他者の死」、の4パターンである。

まず、@の「自己にとっての自己(一人称)の死」とは、誰も「自己の死」を経験した者はいないから、人は「不治の病」に侵された時などは、迫り来る「自己の死」を前にして、不安・絶望・無念さ等の感情が現れる。思いがけない事故や脳内出血などで突然死した場合には、このような不安・絶望・無念さ等の感情が現れる前に死ぬのであるから、ある意味では「幸せ」なのかもしれない。事実、高齢者が「ポックリ往生」を祈願する寺が繁盛しているのはこのせいだ。しかしながら、実際に大多数の人は、病院で徐々に死んでゆくのであるから、現在の日本では「ポックリ往生」は贅沢な死に方かもしれない。ここで、「死」を問うことは、いかにしてわれわれは不安・絶望・無念さ等から解放される得るのかという「救済の問題」を問うことであり、その人の死生観と直接関わる宗教的な問題である。というよりは、人は自分の死の不安・絶望・無念さ等から解放されるために宗教を創り出したといってもよい。

次に、Aの「自己にとっての他者の死」についてであるが、ここでいう「他者」とは、全くの「見ず知らずの他人(三人称)」というのではなく、肉親や友人などの「自己にとってかけがえのない他者(二人称)」という意味であることはいうまでもない。「見ず知らずの他人」というのなら、世界中で毎日何万人もの人が死んでいる。本当の意味での「博愛(人類愛)」や「布施(菩薩行)」というのなら、このレベル(見ず知らずの他者)に思いをいたさねばならないのであるが、一般的な日本人にとっては、見ず知らずの人の生死なんかは「どうでもいいこと」である。その意味では、ドナーカードの普及は、日本人の人類愛に対する意識を変えるきっかけになるかもしれない。

「自己にとってかけがえのない他者の死」という点に話を戻すと、「死」は、看護(みとり)の対象であり、悲しみや寂しさの対象である。あるいは、その悲しみや寂しさの根源を納得させるためのプロセスである。「死」がプロセスである以上、このプロセスにピリオドを打つことなしに「死」は終わらないのである。その意味では、ここでの「死」は社会・文化現象と言えよう。諦めや納得を含むこのプロセスは、医学的な意味での「死」よりもはるかに幅が広い。このプロセスは、さまざまな葬送儀礼として現れる。欧米(キリスト教)に比べて、わが国の宗教界は死に行く人への「ターミナルケアに不熱心だ」としばしば揶揄されるが、一方で、残された家族に対するアフターケアは、お通夜と告別式の「狭義の葬儀」だけでなく、初七日…、満中陰(四十九日)、初盆、一周忌、三回忌…、という具合に非常によく整備された「広義の葬儀」によって十分なものであり、三十三回忌を経て祖先の霊と一体化するという考え方(元来は、仏教ではなく、神道や儒教から来ている)は、「いのち」を個々の個体の生命現象として捉えるのだけでなく、より「大きないのち(無量寿や遺伝子と呼んでもよい)」の一部分を担う自己という視点を生み出すのに有益である。

さらに、Bの「他者にとっての自己の死」は、Aの場合の逆である。これは、「死に行く者」から「残される者」へのさまざまな思いとして現れる。家族や友人への感謝や愛惜であったり、特に、「残される者」が子供や高齢者などの経済的生活力の弱い場合には、慚愧の念は深刻である。伝統的には「遺言(遺書)」として「本人の意志」を伝えてきた。最近では、医療技術の進歩がもたらしたさまざまな問題(尊厳死や脳死)が現実のものとして生じてきたので、これに対応して、安楽死の希望やドナーカードへの記入など、「Living Will(自己の意志決定)」という考え方が提起されるようになった。

ただし、私個人としては、不動産や遺産金などの可処分な財産に対する「Living Will」の行使という点では、大いに「自己の意志」は尊重されるべきであるが、一方で、人工中絶・安楽死・脳死といった「生命操作」に関わる部分での「自己の意志」の行使には大いに疑問を持っている。なぜなら、「my car」と言った時の「my」と、「my life」と言った時の「my」とでは、明らかに意味が異なるからである。前者の「my」は所有格の「my」であり、文字通り、生殺与奪の権(所有権=処分権)が私に一任されている私の所有物である。一方、後者の「my」は、いわば「my country」と言った時の「my」と同じように、所属を意味する「my」であり、「大いなるいのち」そのものは、私の個人の意志によって処分可能なものではないと考えるからである。

最後に残されたのが、Cの「他者にとっての他者(三人称)の死」の問題であるが、ここでは、「死」が感情的問題を生じない観察(興味・研究)の対象となり、異論の余地がない普遍的なひとつの出来事として現れる。「死」が対象化されるという意味では、「死」は客観的な科学的事実として存在する。大抵の場合、この認定には医師が関わることになる。ここで「死」を問うことは、生命現象の法則性を明らかにすることとほとんど同義語である。これが医師のいう「死」である。


▼今こそ、議論を行うとき

現在、行われている「脳死」の問題に対する議論の混乱は、これら4つのファクターの混同が原因していることが多い。ディスカッションの席でも、ある人は@の意味で「死」を問題にし、またある人はAの意味で…。議論が噛み合わないのは当然である。特に、対偶の位置関係にある@(宗教家が問題にする主体性の問題=「自己にとっての自己の死」)とC(医者が考える客観性の問題=「他者にとっての他者の死」)の問題がすれ違いになるのは当たり前である。どちらも「死」という言葉を用いながらも、意味しているものがまるで違うからである。というか、この両者間の議論は意味がないとも言える。

問題にすべきは、両者の領域が交わり合うA(自己にとっての「他者の死」)とB(他者にとっての「自己の死」)の領域での「死」をどう取り扱うかは、すぐれて社会的文化的問題であり、医療関係者主導で行われている現在の論議(手術を行う現場である大学の「倫理委員会」の構成員はほとんど医学部関係者であり、せいぜい法律関係者がこれに加わる程度であり、非生産的な「うるさいこと」を言う人文系の学者はほとんど含まれていない)では不十分なことはいうまでない。これでは、社会的に成熟した(国民の広範囲に受け容れられる)議論にならないのは当然である。

そうこうしているうちに、第2例目の脳死臓器移植手術も「成功」のうちに終了した。こうして、まともな議論を行うことなしに、なし崩し的に実例を積み重ねてゆくことによって社会的了解を得ようとでもいうのであろうか。そういえば、わが国に3カ所しかない心臓移植を行える医療施設(東京女子医大病院・大阪大学病院・国立循環器病センター)の内、2つ(東京女子医大ではレシピエント登録をしている人がいないので、実際上は全部)とも大阪府の千里(吹田市)にある。大阪の地理に詳しくない読者には判らないかもしれないが、両病院間の距離はわずか2キロしか離れていない。1分1秒を争うできるだけ「活きのいい」心臓が必要な心臓移植の現場において、日本全国の平均的なバランスから言えば、せめて北海道と東京と大阪と九州の4カ所ぐらいに分散した方が国民全体の利益に繋がると思われるのであるが、どういう訳か2カ所とも大阪にある。その意味では、大阪の人はドナーになるとしてもレシピエントになるとしても有利だ。まさに「千里の道(脳死臓器移植への国民的合意)も一腑から」である。


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