匙は投げられた:日本国不信任決議可決
       00年 11月25日
 
レルネット主幹 三宅善信

▼日本には民主主義は存在していない

  11月20日夜、東京発の2つのニュースが全世界へ向けて発信された。ひとつは、ペルーのA・フジモリ大統領が滞在先のホテル(ニューオータニ)で、突然の辞任表明を行ったことと、もうひとつは、ご存知、泰山鳴動鼠一匹の「加藤紘一腰砕け」騒動である。どちらの事件も「この国のかたち」について考えるのにはいい材料を提供している。「丁髷(ちょんまげ)野郎」の水かけハプニングのおまけまでついて…。

  『主幹の主観』シリーズ愛読者の皆さんなら、私がこれまで「日本は(欧米的な意味での)民主主義国家ではない」ことを繰り返し述べてきた(『談合3兄弟:憲法十七条の謎』や『ユーゴと日本 どちらが本当の民主国家か』ので、驚かれないかもしれないが、ほとほと今回の内閣不信任案に絡んだ茶番劇は、内外の人々に、日本がいかに成熟した欧米型民主国家でないかを白日の元に知らしめた。なぜなら、そもそも今回の加藤元自民党幹事長の行為は、たとえ倒閣に成功したとしても、あるいは、現実に起こったように敵前逃亡で大恥をかいたとしても、どちらにしても議会制民主主義の原則から逸脱しているからである。

  まず、失敗したケースは言うまでもないが、「国民の75%が不支持を表明している内閣を、たとえ同じ自民党の内閣だからといって黙って見過ごすわけにはゆかない(自分は内閣不信任案の賛成に回る)」などと大見得を切っておきながら、票読みが怪しくなってくると「(家来を守るための)名誉ある撤退」だなんて、そもそも加藤紘一氏は大将の器でない。もっとも、宏池会(加藤派)の代議士連中は「(盟友山崎拓氏と二人だけで不信任案賛成投票に行っちゃ)いけません! 先生(加藤氏)は大将なんだから…」と、(吉良上野介が屋敷に滞在しているかどうか確認できないので、泣く泣く"討ち入り"を延期する赤穂浪士のような)臭い芝居を演じた。本物の大将なら、事前に(「賛成に回る」だの「欠席する」だの)何も言わずに、周到に根回しをしておき、本会議場でいきなり豹変して、野中広務幹事長ら執行部に「謀られた!」とほぞを噛ませるような不意打ち作戦(野党案に賛成する)を採るべきである。ローマの英雄カエサルを刺殺したブルータスや蘇我入鹿を誅殺した中大兄皇子のように…。

  また、たとえ、内閣不信任案が可決されて政権交代に成功したとしても、自民党を離党せずに野党の不信任案に賛成したとなると、政党政治の道義が大きく損なわれることになる。なぜなら、与党内での主導権争いに、本来なら"共通の敵"であるはずの野党の力を借りて、自分に有利にことを運んだことになるので、今後、誰が政権を執ったとしても、常に、同様の危機を孕むようになり、国民の審判(選挙)によって選ばれた多数派(=与党)が政権を構成することの意味がなくなってしまうからである。かつて、ファシスト党を率いて民主主義をぶち壊したムッソリーニは、イタリア議会全535議席中わずか35議席だけしか保有していなかったにもかかわらず、拮抗している与党・野党の間をうまく立ち回り、キャスティングボートを握って政権を掌握した。現在の日本でも、それに近い状況になりつつある。


▼お公家集団のバトル・ロワイヤル

  情けないことに、それから数日経過したら、たとえ表面上のことだけであったとしても、自民党の執行部(主流5派)と反主流派(加藤+山崎派)との間には、何もなかったかのような顔をして議員たちは同席しているし、野党の議員たちも粛々と終盤国会の日程をこなしている感じがする。「いったいあの騒ぎはなんだったのか?」と、国民の多くは思ったことであろう。昨晩、ある会合で、かつて"YKKトリオ"と言われながら、今回は森派会長として「加藤潰し」に辣腕を揮った小泉純一郎氏他森派の衆参両院議員十名程と同席する機会があったが、小泉代議士は「次の総理は俺で決まりだ!」と言わんばかりの余裕綽々で、"敗者"を労り、"勝者"であるはずの野中幹事長を(さも「お前も加藤と一緒に土俵から落ちた死に体だ」と)揶揄してみせる度量を見せていた。

  そもそも、"お公家集団"と言われる宏池会と、"野武士集団"である角栄→竹下直系の橋本派とでは、勝負は始めから見えている。真っ直ぐの自動車専用道路の上をいかに早く走るかなら、東大卒のF1カーは誰よりも早く高速で突っ走ることができるであろう。しかし、凸凹のオフロードを走破するのなら、4WDのジープにかぎる。かつて、田中角栄氏は「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれたものだ。叩いていい場所や体重別などの細かいルールが規定されたボクシングなら、加藤派はポイントを稼ぐことができるだろうが、寝技・足技から場外乱闘まで"なんでもあり"のプロレスなら橋本派のお手のものだ。しかも、今回の政局は、自民党内の主導権争いに野党勢力と結託して政権簒奪を謀るという、誰が敵やら味方やら判らないルール無用のいわば"バトル・ロワイヤル"だ。お公家VS野武士じゃ勝負にならないことは決まっている。

  出口の見えない究極の世紀末的閉塞状況の日本で、今回の"加藤政局"にある種の光明を見出して躍らされたのは、当の宏池会議員はもとより、識者からマスコミ各社はいうまでもなく、多くの国民がそうであったであろう。しかも、その誰もがちょっとやそっとでは立ち直ることのできないくらいの政治不信の感情を抱いてしまった。しかし、肝心の張本人であるはずの加藤紘一氏自身が、思いの外ケロッとしているのが、さらに気味が悪い。案外、加藤氏自身は、今回の騒動を「丁髷野郎!」との不規則発言(国会用語では、ヤジのことをこう呼ぶらしい)に腹を立てて、演壇からコップの水をかけた松浪健四郎代議士と同様、ペロッと舌を出して謝れば済むことぐらいに思っているのであろうか…。もしそうだとすれば、今回の政局は、文字通り、自民党という「コップの中の嵐」に過ぎない。


▼相手の予想外の行動には対応できない人

  そもそも、加藤紘一氏とは、いったいどんな性格の政治家なのだろうか?「森政権のままでは、この国が壊れる!」と、"国家"の運命を第一に気遣っている「憂国の士」を気どりながら、決起中止の理由は「"仲間"の犠牲が忍びない!」である。常識的には理解しがたい行動である。私は、一昨年の6月に、まだ橋本内閣当時の自民党幹事長だった加藤氏と言葉を交わしたことがあった。ハーバード大学の学長が募金集め目的で来日(同募金委員長は槙原稔三菱商事社長)し、皇太子殿下ご夫妻やフォーリー駐日大使をお招きして、ホテルオークラでパーティをしたことがあった。私は、各スクール(アメリカの一流大学は、一般教養を中心に行うカレッジと、神学・法学・医学をはじめとする高度な専門家養成教育を行うスクール=独立性の強い大学院から成り立っている)OBの代表十数名で構成される実行委員会(会長はモルガン・スタンレー・ジャパンのポルテ社長)のメンバーを務めていた。

  当日、受付係をしていた私の前の机には、ABC順に参加予定者の名札が並べられていた。セキュリティの関係上、非公開で関係者のみの参加によるパーティだったため、既に会費の振り込みが行われていたから、受付係の仕事は、参加者本人の氏名を聞いて名札を渡し、名簿にチェックを入れるという簡単なものであった。件の加藤紘一氏が現れたのは、受付が半ばを過ぎた頃であった。「加藤」という姓は日本人には結構いるので、私の目の前には「KATO XXXX」と書かれた名札がまだ数枚残っていた。そこへ、秘書やSPと思しき数名を引き連れた加藤紘一幹事長がやってきた。加藤氏が受付の前で黙って突っ立っている(「俺のことを知らない奴などいないはず」)ので、私が「失礼ですがお名前を頂戴できませんか?」と聞くと、「加藤」と答えた。そこで、「ここにはまだ数名、KATO様という方の名札があるので、下のお名前も…」と重ねて尋ねると、ムッとして「自民党幹事長の加藤紘一」と答えたので、名札を差し出し、「冗句です。ごゆっくりお楽しみください」と言うと、加藤氏一行は何も言わずに、憮然として会場へ入っていった。

  その様子を見ていた連中が、「(自民党幹事長に向かって)よくあんなこと言うよ」と言うので、「あなた方、役人(高級官僚)やビジネスマン(大企業に勤務する人)にとって、政治家は"偉い人(ご機嫌を取らなければならない人)"かもしれないが、われわれから見れば、宗教家のほうがもっと偉い」と言うと、呆気にとられていた。日本の官僚や企業人からすると、「宗教家などという胡散臭い連中は、(社会発展にとって)なんの価値もない取るに足らない存在だ」と思っているであろう。ハーバード大学まで卒業していながら、彼らもまた典型的な日本人なのである。それにしても、加藤紘一という人物は、相手に予想外の行動に出られるとうまく対応ができない人なのかもしれないとその時、思った。

  そうこうしているうちに、皇太子殿下ご夫妻(雅子妃殿下はカレッジをご卒業)がお着きになり、正式の夕餐前のカクテルパーティ会場にお入りになられた。受付業務もほぼ終了したので会場へ行ってみると、さすがに「お公家集団」の宏池会所属議員というか、加藤氏はいつも皇太子殿下ご夫妻の近くを独占していて、皇族が同窓生や学生時代の恩師と懇談する妨げにすらなっていた。こんな機会だからこそ、日頃、ゆっくりと意見を交換することのできない人同士を結びつけるというふうには考えないのだろうか? と私は思った。それでこそ政治家というもんだ。


▼納税者こそ有権者

  さて、政治に話題を戻そう。この"世紀末国会"は、自公保与党勢力の総選挙での大幅議席減によってスタートした。そもそも、小渕首相の瀕死状態の間に"5人組"による密室談合で成立した森嘉朗内閣に、なんのレジチマシー(正統性)もないことは以前に述べた(『総理大臣の欠けたときは…』とおりである。小渕「前」総理の弔い選挙という絶好の材料がありながら、「神の国」発言等で、これらの好条件をチャラにし、誰が見ても総選挙に破れたのに、「国民から自公保連立政権の信任を得た」などと嘯(うそぶ)いた野中・森政権は、早速、久世金融監督庁長官の疑惑で躓(つまづ)き、それを誤魔化し、何がなんでも来夏の参議院選挙に勝つために「非拘束名簿式比例代表制」なるぬえ知恵的制度導入を強行した。野党も野党で、いつまで経ってもバカのひとつ覚えのような「審議拒否」戦術で国会が空転し、その間、日本の株価は下がり続けた。これは、単なる経済問題という次元の問題を越えて、日本国(のあり方)そのものが「売られ」ているということに気づかないのだろうか。因みに、春から秋までの半年間で、私個人の保有している株式の市場評価額は2億5千万円以上下落した。いったいどうしてくれる。

  「非拘束名簿式比例代表制」法案が、連立与党の賛成多数で強行採決された時に、「これで日本の民主主義もお仕舞いだ」と言って、泣いた若手の野党(民主党)議員もいたが、森総理と姿形から論理構造までそっくりの中川官房長官のセックススキャンダルという絶好の攻撃材料までもらいながら、倒閣に持っていけず、相も変わらぬ「欠席戦術」しか取れないだらしない野党の連中も含めて、日本の国会そのものが"脳死状態"と言ってもよい。与党も野党も「全員クビ!(不信任)」にしたいくらいだ。そして、最後に来たのが、冒頭の「加藤政局」である。しかし、このような議員を選んでいるのは、他ならぬ日本人そのものである。すなわち、根本的に言えば、今の日本人を全員クビ! にでもしないかぎり、この問題は解決しないとも言える。「タイタニック号と一緒に全員沈没」だ。

  どうやら、今国会のひとつの目玉であった「定住外国人地方参政権付与法案」も、このままじゃ流れそうである。私は20代の頃から、定住外国人参政権付与論者であった。というよりは、英国からのアメリカ独立のきっかけともなった「参政権なきところに課税なし(No taxation without representation)」の原則を尊重するからである。定住外国人(20年間以上在住)の多くは税金(所得税)を払っている。当然、参政権は必要だ。なぜなら、集めた税金の使い道(予算)を決めるのが議会の主な仕事だからである。逆を言えば、たとえ日本人であっても、税金(直接税)を納めていない人には参政権は不要である。高卒で働いている(納税している)18才が、未成年という理由で選挙権がないのに、20才の大学生(納税していない)に選挙権があるのは、どう考えてもおかしい。年金生活の高齢者にも選挙権は不要である。もし、納税者(消費税ではなくて、所得税を払っている人の意)だけに選挙権が与えられれば、選挙の投票率ははるかに高くなるであろうし、もっと"ましな議員"が選ばれることは間違いない。


▼外国人を閣僚に!

  しかし、この世紀末国会を見ていて、考えが変わった。定住外国人に参政権を与えるよりも、もっと劇的に日本の国を変える方法を思いついた。選挙権ではなく、被選挙権を外国人にも与えるのである。例えば、クリントン政権もあと2カ月のいのちである。これをそっくり貰い受けて、森首相・宮沢蔵相・河野外相と、クリントン(大統領→首相)・サマーズ(財務長官→財相)・オルブライト(国務長官→外相)というラインナップを組んだら、経済も外交もはるかにうまく進展するであろう。プロ野球だって、エースと四番バッターが元大リーガーで構成されているチームだっていくらでもあるじゃないか…。閣僚のうち、3分の1くらいまでなら外国人を入れてもたいして問題はないだろう。むしろ、そのほうが官僚にショック療法を与えることができる。現在でも、閣僚の半数以下なら民間人でもいいことになっているではないか…。現に、経企庁長官と環境庁長官は民間人であるが、なんの不都合もないではないか。"国技"大相撲だって、最高位の横綱2人は「(元)外国人」じゃないか。奈良時代には、帰化人の閣僚もたくさんいたし、明治期には、「お抱え外国人」が活躍した先例もある。

  大臣が、いきなり、見た目「外人」というのが国民に抵抗感があるのなら、日本に滞在中に、突然、大統領職を辞任したペルーのA・フジモリ氏(見た目は日本人)あたりにお願いして、閣僚に就任してもうらうのもひとつの手である。カエサルはルビコン川を渡る時に「賽(さい=サイコロ)は投げられた(もう後戻りできない)」と言ったそうだが、日本の世紀末国会を見て私が思った言葉は、「匙(さじ)は投げられた」である。否決されたのは、森内閣の不信任案ではなくて、日本国の現在のあり方が世界中から否決されたのである。


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