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第30回世界大会

バンクーバー大会(1999年)

バンクーバーで
第30回IARF世界大会開催される

1999年7月29日から8月3日の日程で、バンクーバー市(カナダ)のブリティッシュ・コロンビア大学において、IARF(国際自由宗教連盟=本部英国オックスフォード)の第30回世界大会が「地球共同体の創造=宗教の使命」のテーマで開催され、世界三十数カ国から約650名(日本からは約250名)が参加した。

第30回IARF世界大会開催

1900年にボストンで創設されたIARFは、世界最古の国際的諸宗教協力団体であり、現在は国連経済社会理事会公認カテゴリー1のNGOとして世界的な評価を受けている。その第30回の世界大会がバンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学で開催された。

7月29日の晩に催された開会式には、これまでの世界大会のそれとは異なり、主に地元バンクーバーの宗教界の代表者による歓迎の辞が、英語・フランス語・日本語で述べられた。なかでも、カナダ先住民であるファースト・ネーション(旧称インディアン)のひとつツレイルワウトゥス族の長L・ジョージ氏の挨拶に注目が集まり、IARFの会長を務める椿大神社宮司山本行隆師が挨拶を行った。また、開会式の演出のひとつとして立正佼成会の雅楽・舞楽が演奏された。

立正佼成会による雅楽演奏

立正佼成会による雅楽演奏

実質的な会議の中身は、翌30日の朝から始まった。大会期間中は、毎日、朝夕、世界各国の諸宗教が「祈り」を行うが、この日の朝は、古式ゆかしい神道の伝統に則った椿大神社の祈りから始まった。続いて、全体集会として、ニューヨークの地球教育協会のP・ミッシェ会長と英国国教会のバンクーバー主教M・インガム師が基調講演を行った。

3年に一度開催されるIARFの世界大会では、継続的なテーマ設定で、その分野の専門家からの論文・発表形式の研究部会が開催されるが、今回は以下の7つの分野において研究部会が設定された。すなわち、①グローバリゼーション:宗教者はどのように対応すべきか?、②信教の自由:IARFはどのように対応すべきか?、③開発:自助努力はどのように維持されるのか?、④霊性:われわれは真の人間性をいかに涵養しうるのか?、⑤宗教協力の戦略:IARFはどのような主教協力の取り組みを支持すべきか?、⑥IARF百周年:IARFの過去から未来を見出しうるか?、⑦環境を重視した生き方:われわれは地球を守るために何をなすべきか?、である。なかでも、JLC(IARF日本連絡協議会)が責任をもって企画した第4部会「霊性の涵養」は一番の盛況で、この部会の共同議長を務めた金光教泉尾教会の三宅善信師と元筑波大学教授のジーン・リーブス博士による深い洞察力と軽妙な受け答えで、大いに盛り上がり、連日、百名を超す参加者が集った。

昼休みには、IARF名物のひとつでもあるサークル・グループが開催された。サークル・グループとは、特別の意見発表の機会を持たない一般の参加者にも、大会への参加意識を高めてもらうために、立正佼成会の「法座」をモデルに作られたもので、国籍・性別・年齢・宗教等の異なる十数名の人々が「輪」になって自分の体験や関心事を語り合うものであり、お互いがうち溶け合うのに十分な効果がある。連日、開催されたサークル・グループでは、言葉の問題等から初めはひっ込み思案がちな日本人も、日を経るにしたがってだんだんと積極的に発言するようになり、しまいには食事の時間もテーブルを共にするようになるほど友人が作れるプログラムである。

午後からは、事前に登録さえすれば、自分(グループ)の意見を発表することができるワークショップが各所(合計三十数箇所)で開催された。これは、各加盟教団の紹介(参加者との質疑応答が中心)から、茶花道・書道・合気道・ヨガといった「芸事」、さらには、人権・環境・難民問題等の政治的な関心等がテーマとして取り上げられ、それぞれに関心のある人たちが自由に参加できるようになっている。また、夜には、文化プログラムと称して、各国伝統的な音楽や踊りが紹介された。

以上のような行事が、大会期間中、毎日繰り返えされるのである。重複されるものを省略して、日本からの加盟教団が主催したプログラムを中心に、日程を追って紹介すると、7月31日には、金光教泉尾教会主催の「朝の祈り」が行われた。IARF国際評議員でもある三宅龍雄師祭主の下、金光教バンクーバー教会とロサンゼルス教会の教会長が祭員を勤め、英語によって祭典が進行され、祭典音楽を立正佼成会の雅楽部が務めるという宗教協力の見本のようはユニークな「祈り」が行われ、各国からの参加者から賞賛された。

金光教泉尾教会の祈り

金光教泉尾教会の祈り

8月1日の朝には、独特な礼法で行われる一燈園主催の「祈り」が行われた。お昼には、「諸宗教の祈り」が行われた。国際色豊かなこの祈りは、主な加盟教団による短い祈祷(その国の言葉で行われる)と各国の宗教的な舞踊・音楽等を組み合わせたもので、日本からは、IARF国際評議員である酒井教雄立正佼成会理事長と金光教の三宅龍雄師が壇上で祈りを捧げた。また、ファースト・ネーションの代表による伝統的な自然への畏敬と感謝の祈りが参加者たちに深い感銘を与えた。

この日の夜の文化プログラムは、大会期間中の「華」ともいえるものであった。夕方7時半、ようやく陽が傾き始めた屋外の特設会場に、燈下が点され、立正佼成会による雅楽・舞楽が興せられた。この音楽に引き寄せられて多くの人が集まった頃を見計らって、「鏡割り」が行われ、参加者に樽酒が振る舞われた。この日は、山本会長の満77歳の誕生日でもあり、お祝いの言葉に続いて、はるばる椿アメリカ(カリフォルニア州)とワシントン州の神流(かんながら)神社から運んでこられた御輿(みこし)と纏(まとい)が入場し、IARF特製の法被(はっぴ)を羽織った各国の若者たちによって担がれ、会場の一体感はいやがうえにも盛り上がった。

御神輿や纏も舞って、盛り上がった日本文化の夕べ

御神輿や纏も舞って、盛り上がった日本文化の夕べ

8月2日は、立正佼成会による「朝の祈り」で始まった。3日めを迎えた各研究部会での議論もだんだんとヒートアップしてきた。今大会での議論で印象的であったのは、とかく欧米(人の価値観)中心になりがちなこの種の国際会議において、日本をはじめとするアジア各国の比較的若い世代の参加者が積極的に発言を行ったこともあって、欧米人に彼らがグローバルスタンダード(世界標準)だと思っていることの多くは、それほどの普遍性がないことを気づかせることに大いに役立った。

大会最終日の3日は、法人としてのIARFの総会が行われた。議決権を有する代議員だけで構成される総会の主な役割は、規約の改正とIARFの意思決定機関である国際評議員や正副会長・財務担当役員を選出することである。定員21名の国際評議員(会長他の役員も含む)には、日本からは、山本行隆・三宅龍雄・酒井教雄の各師が再選され(任期1999~2002年)、新たに、IALRW(国際リベラル宗教女性連盟)の会長としてIARF日本チャプターの横田佳代子氏が役務就任した。また、山本行隆師に代わる会長職には、オランダのE・ヘルワイネン氏が選出された。さらに、財務担当役員として酒井教雄師が選出された。また、2002年に開催予定の第31回世界大会の開催地として、ユニテリアン発祥の地ルーマニア西部のトランシルバニアに決定した。

この日の晩、閉会式が開催された。各宗教の代表による挨拶や祈りが中心の開会式や諸宗教の祈りと異なり、閉会式は、21世紀を担う青年を中心に構成された。数十名の青年プログラム参加者たちが、次の大会までに実践することを誓ったそれぞれ決意を発表し、青年らしく、音楽やダンスに満ちた演出となった。最後に、この大会を機会に退任する旧役員や事務総長への感謝の言葉で、6日間にわたる大会は閉幕した。




第30回IARF世界大会
関西地区事前学習会記念講演

6月19日、金光教泉尾教会 神徳館国際会議場において、第30回IARF(国際自由宗教連盟)世界大会のための関西地区事前学習会が開催され、加盟各教団から世界大会参加予定者約60名が集い、2人の講師から講演を聴いた。

『カナダの先住民政策の変遷と諸影響』

岸上伸啓先生
国立民族学博物館助教授
岸上伸啓
多民族国家カナダ

本日は、カナダの先住民に対して、カナダ政府が執ってきた政策についてお話したいと思っております。

皆さんのお手元に地図の入った用紙はございますか?これが現在のカナダの国土を示しています。ブリティッシュ・コロンビア州、アルバータ州、サスカチュワン州、マニトバ州、オンタリオ州、ケベック州......。西から東にありますね。それから北の方には、ユーコン準州、北西準州、ヌナヴト準州、と3準州、10の州と三つの準州からなっております。

1997年の統計でありますけれども、カナダの人口は約3000万人です。日本の4分の1ぐらいですね。面積は、997万平方キロメートル、日本の面積が38万平方キロメートルですから、国土は日本の約二六倍あります。非常に自然の豊かな国です。但し、かなりの高緯度にありますので、気候が日本とは大変違います。冬は非常に寒いし、夏は日本の秋のような気候です。

皆様が、この夏、IARF大会に行かれるブリティッシュ・コロンビア州は、カナダの中でも特異なところなんですね。どうしてかと申しますと、まず、太平洋に面しておりますので、非常に雨が多い。特に冬は雨が多くて、夏は比較的涼しいです。温度が25度を越えることは余りないと思うんですね。一方、冬は、カナダにありながら雪がほとんど降りません。非常に温かい場所です。しかも、開拓の点で申しますと、北米大陸は東から西のほうに向かって開拓が進んでまいりました。そういう意味では、最後に開拓された地域であるということもいえます。

現在、カナダに対して皆さんがどのようなイメージを持っておられるか判りません。ただ単に、白人の国だというイメージを持っておられる方がおられるかもしれませんが、簡単に申しますと、カナダは移民と先住民の国です。この150年の間に、非常に多くの人々がヨーロッパ、アフリカ、アジアから移住してきました。それ以前には、われわれが「インディアン」と呼んできた人たちの種族と、イヌイット・・昔はエスキモーと呼んでいました・・それから、インディアンと白人の方の混血をメーティスといいます。そういう方々が住んでいるわけです。

統計で申しますと、カナダの人口うちの45パーセントがイギリス系です。いわゆるスコットランドの出身者です。それからフランス系が約30パーセントおります。それ以下、ドイツ、イタリア、ウクライナ、オランダ、中国、さらにいろいろな国の方々が移民としてカナダの国を構成しております。現在のカナダは、そういうふうな多くの異質多民、異なる言葉、異なる文化を持つ人々が集まって住んでおりますから、政策的には、多文化主義という「文化の共生」を国家の理念として国策を推進しております。これも非常にユニークな点で、これはまた後で簡単にご説明申し上げます。

憲法に規定された「先住民」

最初に、「先住民」という言葉なんですが、ここで「先住民」と言った場合は、いわゆるヨーロッパから白人が、「新大陸(北米)」に渡って来る以前に、既にそこに住んでいた人たち、この人口を一括して「先住民」と呼んでおります。また、その子孫の人たちも先住民と呼びます。実は、カナダでは「先住民」というのは憲法で規定されています。日本国憲法には、アイヌの方に関する記述はございません。単に日本国民です。

ところがカナダの場合は、先住民とか移民の方々の主張が非常にはっきりしておりまして、憲法のなかでも、先ほど三宅先生がご挨拶で言われたファーストネィションズ・・これはインディアンの所属、例えばクリーとか、ミクマックとかいろんなグループがあるんですが、それを一括して今、ファーストネィションズ(最初の国民)と呼びます。それから、もうひとつはイヌイットです。これはかつてエスキモーと呼ばれた人たちです。それからメーティスというのは、ヨーロッパ人とインディアンの方の間に生まれた子孫と考えて結構です。あんまり使いたくない言葉ですが、いわゆる混血ですね。この人たち及びその祖先は、カナダでは現在、「先住民」として認定されております。

先ほど、「カナダの人口は約3000万人」と申しました。このうちの約100万、つまり、カナダ人30人に1人がこの「先住民」のカテゴリーに入ります。町を歩いていたらたぶん30人に1人は先住民の方です。町の中では、実際はそんなに多くないかもしれません。しかし、それぐらいの比率です。ファーストネィションズと呼ばれる・・かつてインディアンと呼ばれた・・方たちは約78万人。メーティスいわゆるの方たちが約21万人。それから、イヌイットの方たちが約5万人おられます。

カナダの先住民がどこに住んでいるかということですが、われわれ日本人は、先住民というのは、アイヌであったら北海道に住んでいるとか、僻地に住んでいるとかそういうイメージをお持ちの方が多いかもしれません。カナダには、リザーブ・・これを日本語に訳しますと・・保留置とか居留地とか申しまして、先住民のために国が指定した場所があるわけです。カナダには約2300カ所ございます。そのうち1600カ所は、みなさんがこれから行かれる、ブリティツシュ・コロンビア州にございます。ブリティッシュ・コロンビア州といいますのは、先住民の人口は少ないのですが、非常に多くの種族といいますかグループが住んでいる土地であるということを申し上げておきたいと思います。

極地では、例えばイヌイットとか、一部の極地インディアンの方たちは、あとでスライドをお見せしますが、北極地域とか北の森林地帯に住んでおります。ここでひとつ指摘しておきたいのは、第二次世界大戦が終わってからこの四、50年間、多くの先住民の方々が町に出て来ています。決して彼らは、都会から離れた僻地とか居留地に住んでいるんではなく、最近の統計によりますと、ファーストネィションズとかメーティスの場合、人口の約半分は都市に住んでいると言われています。

一方、イヌイットも、実のところ僕はイヌイットは北方の方でしかこれまで捜査をして来てなかったのですが、この数年の間に人口の五人に一人、約20パーセントは、極北の土地を離れて、トロントとかモントリオールとかバンクーバーというような大都市に住んでいるということが判ってまいりました。そういう意味では、元々(白人の人たちが入って来て追いやられたこともありますが)比較的僻地に住んでいたわけですが、現在では、都市に住む方もできているということを指摘しておきたいと思います。

植民地化の時代から同化の時代へ

今日は、歴史的に順を追って先住民に対する政策を見ていきたいと思います。白人が入植した時、それからカナダ国が独立した時、そして現代、カナダの先住民はどのように取り扱われているかということをお話したいわけです。

まず、これは、部族の言語別に見た先住民の分布図なんですが、16世紀から18世紀のものです。まず最初は、1500年代、日本でいうと江戸時代の前と考えて下さい。もちろん、当時は、白人は一切住んでいません。北の方にはエスキモー。そして、東の方にはイロコワ語族、アルゴンキン語族とか、アタカパ語族とかですね、いろんな言葉を話す先住民がおられたわけです。ところが、これが数世紀たった現在の地図は、見たら判りますように、いわゆる先住民の世界から、移民、特に白人の世界・・イギリス系、フランス系の移民の世界・・へと国が変わってきているんです。先住民を中心としてカナダの歴史を振り返りますと、まず、今から300年ほど振り返りますと、そこには先住民しか住んでいなかった。

ところが、交易、特に毛皮交易とかを目的としてヨーロッパから人が入ってくる。最初の接触時は非常に友好的です。ヨーロッパから来た人も、先住民の知恵がなければ、北米「新大陸」では生活できないわけです。したがって先住民は、新しく来たヨーロッパ人も助けましたし、ヨーロッパ人も、対等な立場で交易を行っていたわけです。

ところが、時間が経ちまして白人の人口も増えてきます。それから、農耕が行われ始めます。牧畜ができる先住民というのは、ヨーロッパから来た入植者からみると、これは邪魔物なんですね。したがって取り除く(殺す)、もしくは追い払うというようなことが行われてきます。いわゆるこれが植民地化です。当然、そこに住んでいる先住民のほうは反発します。そこで先住民と入植者の間で争いが起こったり、戦争が起こったりするわけですけれども。当然、ヨーロッパ人は鉄砲を含めて文明の利器を持っています。先住民は戦争をして勝てる訳ないですよね。したがって、結果的には、北にいるイヌイットとか一部のクリーインディアンを除けば、ほとんどのカナダの先住民というのは、(一年中、寒くて)農耕ができない、もしくは牧畜に適しない奥地に追いやられてしまうという現象が起こります。

そのうち、カナダが国家として独立します。そうすると、カナダ政府は、先住民をカナダ国民、もしくはカナダの国の一部とみなします。これで主客が転倒するわけですね。誰の国かということになりますと......。そして、カナダ政府が採った政策というのは簡単でして、「文明化する」いわゆる「同化」をするということです。これは一方では「キリスト教化する」という意味もあります。先住民も同化していく......。

ところが、1960年代の終わりぐらい頃から、1960年代をひとつの転機としまして、先住民の権利運動が始まります。自分たちの主張をはっきり言う。そして、連邦政府と話し合って自分たちの生き方を模索するということが始まります。いわゆる「自立の時期」が始まるんですね。こういうふうに先住民の視点からカナダの歴史を見ますと。接触期、植民地される時期、同化をされる時期、それに対して反発をして自立を始める時期、と四つの大きな期間に分けることができます。

みなさんにお配りしました年表がございます。これに則してカナダの先住民政策というものを見ていきたいと思います。みなさんご存知のように、歴史の上で、「1492年にコロンブスが北米大陸を発見した」というのは教科書で習います。ということは、もっとはっきり言うと、それ以前には北米大陸にはヨーロッパ人はいなかったということになります。カナダの場合は、ヨーロッパ人による入植もしくは移民が始まったのは16世紀以降です。16世紀というのは1500年代です。日本でいうと安土桃山時代から江戸時代の初め。これぐらいから、ヨーロッパ人の新大陸への移民が始まります。これは、地図で申しますと、北米のアメリカ合衆国やカナダの東側だけです。現在のボストンでありますとかニューヨークでありますとか、その辺に入植が始まるわけです。入植したグループは、イギリスをはじめ、フランスとかオランダとかいろんな国の人たちが入ってくるわけです。そしてそこに植民地を作るわけですね。

特に1700年代の後半になりまして、最後に、イギリス系の植民地者とフランス系の植民地者がそこでぶつかります。そして、1763年にイギリスがフランスとインディアンとの戦いに勝ちまして、「パリ条約」を結びます。この時点で、カナダを含めて北米の一部がイギリス領になります。今、アメリカ合衆国でなんでイギリス人が多いか(アメリカの国語は英語)といいますと、この時から始まるわけです。この時に、英国王が北米を治めるための宣言を出します。実は、この中に、もう既に先住民に関する記述が出てまいります。どういうことかと申しますと、「英王国宣言」が1763年に出されますが、その時に、英国植民地の境界を決めなければなりません。どっからどこまでが英国の植民地であるか、そして、植民地がどのように運用されるべきか、先住民政策とか白人入植者と先住民の関係というものを国王が述べた宣言が出されます。

この宣言というのは、非常に先住民に有利な宣言でして、どういうことかと申しますと、当時のインディアンというのは、この時点においてイギリス国王の支配下に入る。いわゆる「英国市民」になりますが、同時に「インディアンの独自性をイギリス国王は認める」という宣言なんですね。しかも、「アパラチア山脈(北米の東側に南北に走っている山脈)からミシシッピ河(北米の中央を南北に流れる大河)にかけての土地は、これはインディアンの土地であって、白人は入ってはいけない」ということもこの時に述べます。どういうことかというと、もっと極端に言いますと、「アパラチア山脈から西の地域というのは、白人は入ってはいけないんだ。これは、インディアンの土地なんだ」ということを英国王が宣言するわけです。これが1736年なわけです。

しかしながら、現実的にはこの宣言は守られませんでした。カナダのほうでは、毛皮交易・・ビーバーの毛皮とかラッコの毛皮・・を求めて植民者、毛皮商人が入ってきます。南のほうでは、土地を求めて、農耕や牧畜をするためにヨーロッパから多くの人間が入ってきて、国王宣言があるにもかかわらず、どんどんアパラチア山脈を越えてテキサスのほうまで向かっていきます。というようなことが起こりまして、実はこういうふうな宣言はありましたけれども、有名無実でした。

話は戻りますが、ペシャワルにあるアフガンのゲリラ本部で、孫子(古代中国の兵法家)の『兵法』を英語で幹部に講義したことがあります。一九〇七年に、孫子の『兵法』は英語に訳されてるんですね。ところが、ゲリラたちに笑われました。全然、問題にならない。やはり風土が違うと戦略や戦法が違うんですね。孫子は「飯を食わねば(食糧補給が十分でないと)戦ができない」と言っておりますが、アフガンゲリラでは、全然、逆なんですね。飯ではなくて、「鉄砲がなければ戦はできない」と言う。鉄砲があれば、「相手から食糧は奪って来れる」と言うんですね。だから、兵士であるアフガン難民は、「鉄砲持ってきたか?」とまず私たちに聞く。風土や宗教、文化が異なると、発想が全く逆なんです。こういった話をしますと、いろんな思い出が次から次へと湧き出てきて、だんだん興奮してきますので、この辺で止めておきますが(会場笑い)。



『宗教多元主義とグローバリゼーションの行方』

井上昭夫所長
天理大学おやさと研究所所長
井上昭夫
神よ助けたまえ

"I, Akio Inoue, do solemnly swear that I will support and defend the Constitution of the United States against all enemies, foreign and domestic ; that I will bear true faith and allegiance to the same ; and that I will obey the orders of the President of the United States and the orders of the officers appointed over me, according to regulations and the Uniform Code of Military Justice. So help me God!''

まず、皆さん方にお配りいたしました資料の最後に、グローバリゼーションや多元主義についての代表的な参考文献をリストアップしております。非常に参考になりますけれども、これは理論的に述べたものであります。本日は学会ではありませんので、限られた時間の中で、私なりの違ったアプローチをしようと思っております。具体的、実践的、体験的な局面から、多元主義とグローバリセージョンについてお話していこうと思っております。

そこでまず、日々新聞やニュースを賑わしております「宗教が原因である戦争」のお話を始めるために、私が今、申し上げましたアメリカ兵が入隊するときに宣誓する誓約から入りたいと思います。アメリカの兵隊さんが、コソボでの戦争に参加する時も全部これをやるんですね。日本語で言いますと、「私、井上昭夫は、厳粛に宣誓します。国内外の敵に対して合衆国の憲法を支持し守ることを。真実の信仰と忠誠を保つことを。合衆国大統領の命令と私の上位に任命された上官の命令に、軍事裁判所の法律・法規および規則によって遵したがうことを・」そして、その次に ''So help me God'' です。

この「神よ助けたまえ」という文言はどういう意味なんでしょうね。「神よ助けたまえ」って、「できるだけたくさんの人を殺すことができるように神よ助けたまえ」と言っているのでしょうか?私の話は、この入隊宣言にあります ``So help me God'' と言った時のGodとはどういう神のことか?という話に始まりまして、先日、東京の地下鉄にも現れたというお猿さんのエピソードで終わりたいと思います。その間に、宗教多元主義とグローバリゼーションのお話をいたします。神で始まり猿で終わる(会場笑い)。その間に人間のお話をいたしますのでお楽しみに。

まず、旧約聖書の詩篇第91篇から。第二次世界大戦中、イギリス軍とドイツ軍とが北アフリカで闘いましたが、その戦車隊員たちが全部これをポケットに入れて戦地に赴いているんですね。あまり知られてませんが、そういう事実があります。それを読んでみたいと思います。英語の原文には、『God a Protector(神は守護者)』とサブタイトルが付いています。この詩篇第91篇を全部読む時間がありませんので、一部分だけ引用いたします。「夜脅かすものも昼飛んでくる矢も怖れることはない」神を信ずれば......、ですね。「暗黒の中を行く疫病も真昼に襲う病魔も、あなたのかたわらに一千の人あなたの右に一万の人が倒れるときすら、あなたを襲うことはない。あなたは、孜々と毒蛇を踏みにじり、獅子と大蛇を踏んでいく」やはり敵を悪魔に見立てて、この神があなたを救い出してくれる。なぜならば、「いと高き神の下に身を寄せて隠れる。全能の神の影に破る。主に申しあげよ。私の避け所、砦、私の神に頼りたのむから」であり、やっつけるのは、大蛇や毒蛇に象徴される悪魔である。

こういう台詞せりふが聖書に書いてあるんです。これを兵隊さんが覚えてて言う。私、アメリカ人何人かに聞いたんです。すると、ある人は「マリリンモンローとかガールフレンドの写真は入れるけれども、そんなの(聖書)入れていくのかね?」って言うから、アメリカに電話を掛けまして聞きましたら、やはり「入れていかなければならない規則はないけれども、戦地に赴く多くの兵隊はこれを入れて行く」のだそうです。

そこで、この合衆国の入隊宣誓をして兵隊になった元原爆搭載機のパイロットで、アポロ13号の宇宙飛行士になったラッセル・シュワイカートが、(核のボタンを握る)心境を私に告白してくれました。上官から命令が来たならば、原爆を落とすボタンを自分で押さないといけない。その時、自分は押すか押さないか?というところをですね、思策する一節があります。非常に感動的ですので、少しご紹介したいと思います。これは『宇宙からの帰還』という本ですが、40年程前の体験を、僕が13年前に行ったシンポジウム(『コスモス・生命・宗教~ヒューマニズムを超えて~』)で、話してくれました。

誰の決断で核のボタンを押すのか/h6>

「私(シュワイカート)はフィリピン群島近郊のアメリカ空軍の若い戦闘機パイロットです。私はF100飛行中隊に配属されていましたが、四週間毎ぐらいに、台湾の空軍基地で核非常待機の順番が回ってきました。その時、われわれは滑走路の末端に四機の爆撃機を待機させ、いずれの飛行機も燃料を満タンに入れ、核爆弾を搭載して、いつでも発進できるようにしておりました」ところが、面白いことに、爆撃機は、飛ばさなければかえって液漏れを起こすというのが飛行機という機械の特徴でして......。一方、核爆弾自体は(半永久的な)耐久性がある。そういうことで、一週間毎に、爆撃機のオーバーホール(点検整備)をやるわけです。

その時に原爆をはずしまして、飛行機をオーバーホールしている間に、彼は、その核爆弾の上に横たわって星を眺める。地上整備員によって核爆弾が飛行機から下ろされ、脇に運ばれます。そうしますと、地上整備員が液漏れしている飛行機を移動させ、最近まで飛んでいた別の飛行機を運んでくる作業を行います。その作業は約20分から30分の作業で、飛行機の出し入れが行われる間、核爆弾は飛行機の横でじっと待機している。自分は核爆弾の上に乗って、仰向けになって星空を眺める。

「私(シュワイカート)は、横たわりながらひとつひとつ順を追って段階的に、私に課せられた役割を思い描いてみます。私はできるかぎりリアルにこれを心に思い描いてみます。と言いますのも、(出撃の)電話が鳴れば、その時は考える暇がないのは判っている」日頃は、彼らは何もすることなく、ジッと待っているのですね。そして、一旦、(出撃命令の)赤い電話が鳴ると、その時に出ようか出まいか会議はしてられないから、「出る(核攻撃する)か?出ざる(核攻撃しない)べきか?」ということは、暇な時に考えるというのです。それで、電話が鳴れば、封筒の中にある暗号解読表と照合して、ジャケットを着てドアへ走って行く。そして飛行機に乗って......。パイロットですからちゃんとそういうプロセスは頭の中に入っているんですね。標的に接近して、最大限にまで加速し、標的の上空に到達すると、時間をピタリと合わせて爆弾を投下する自分の姿をいつも想像する。彼が「核攻撃のボタンを押すことによって、何十万という人びとが死ぬことを知っていて、核爆弾を投下するかどうかは、何に基づいて決めればいいのか?最終的に決断をする道徳的根拠を知りたい。私が出会うことさえない何千という人びとを殺すという倫理上の重荷に気が付いた」というのです。

それは、最終的には大統領からずっと伝わってくる上官命令なんです。先ほどの軍隊入隊時の宣誓には、「上官の命令を遵守します」と宣誓するわけですから、(自分の判断で上官命令に違反して)核のボタンを押さなかったら、軍法会議に掛けられて、死刑か一生牢獄に入ることは決まっていることですから......。それはまた、自分がボタンを押さないことによって、自分の国が逆にやられてしまうということにもなります。そういういろんなことが選択肢として想像されるわけなんですが、高度に組織された軍隊というシステムの中で、個人的な倫理上、道徳上の決断というのはどういう意味を持っているのか?上層部の人たちを考えますと、全部いい人だ。悪い人は一人もいない。にもかかわらず、実際には核兵器が使われた。そういうことも自分は知っていた。ところが、自分がパイロットをしている間には、幸運にも原爆を再び落とさずに済んだ。

それから、彼は(昇進して)命令を下す立場になった。その時に、「いかに自分に上がってくる情報が不備なものであるかということに気がついて、非常に恐ろしいと思った。倫理的には難解でまた急を要する決断と、その決断に用いられる情報の質の間に反比例的な相関関係があるのに気が付いた。それで、結局この様に、われわれは個人的に直面しているこうした最も重要な道徳的決断は、上層部の決断に委ねることはできない。と、今でははっきり申し上げます」

ということは、入隊宣言を破らざるを得ないということです。これが ``So help me God'' という意味なんですね。この「So」というのは、ちょっと日本語に訳するのは難しいわけですけれども......。「私(シュワイカート)の考えでは、これら個人の道徳的決断が集まって家族の決断、さらに家族の決断が集まって社会の決断や国家の決断になるのだと思う。したがって個人の道徳的決断こそが、人類存続のエッセンスなのだ」ということを言われました。みなさんはいかがでしょうか?

私は1950年代に米国に留学していましたから、自分が大学の四回生の時に、「入隊の招集」が来ました。その時に「私はこれから勉強をしないといけないので、入隊には応じられない」と言ったことがありまして、その時に、その入隊宣誓文を読んだことがあります。四十数年ぶりに目にした文章で、一度、人前で手を挙げて読んでみたいと思って読んだんですね。別に天理教のお祈りではありませんから、ちょっとパフォーマンスをやってみたかったんです。

話は戻りますが、ペシャワルにあるアフガンのゲリラ本部で、孫子(古代中国の兵法家)の『兵法』を英語で幹部に講義したことがあります。一九〇七年に、孫子の『兵法』は英語に訳されてるんですね。ところが、ゲリラたちに笑われました。全然、問題にならない。やはり風土が違うと戦略や戦法が違うんですね。孫子は「飯を食わねば(食糧補給が十分でないと)戦ができない」と言っておりますが、アフガンゲリラでは、全然、逆なんですね。飯ではなくて、「鉄砲がなければ戦はできない」と言う。鉄砲があれば、「相手から食糧は奪って来れる」と言うんですね。だから、兵士であるアフガン難民は、「鉄砲持ってきたか?」とまず私たちに聞く。風土や宗教、文化が異なると、発想が全く逆なんです。こういった話をしますと、いろんな思い出が次から次へと湧き出てきて、だんだん興奮してきますので、この辺で止めておきますが(会場笑い)。

グローバリゼーションと対話

さて、グローバリゼーションの問題は、いろんな学者が触れております。国際会議でも、どこかにグローバリゼーションというテーマが最近は必ず入っている。私がこのレファレンス(参考文献)に挙げました中で、もし関心のある方がいらっしゃいましたら、レファレンスの五ページですが、『Religion and Globalization』という、一番上の英語の文献がありますが、これはアマゾン・コム(インターネットの本屋)に申し込んで三日前に届いたんですが、ピーター・ベイヤーという人が書いたものです。この本は非常にいいですね。

五つのケーススタディを上げてグローバリゼーションのなかの世界宗教の葛藤と問題点を分析しています。具体的なケーススタディを通して、グローバリゼーションのプロセスの中の宗教の方向はどうあるべきか?ということを示唆しておるわけです。抽象的でなく、優れたがっちりとした社会学の手法に基づいて書かれた本だと思います。

こんな研究は日本にはないですね。まあだいたい外国の学者の紹介やら引用が多い。そう言いながら、私も同じことをしているのですが、学者でないからお許しください。いずれにしろ、皆さん方がご関心を持っておられるようなテーマについて書かれている文献を一応、挙げておきましたので、これはまた後で目を通してみてください。日本語で書かれている本は、ワレンシュタインをはじめとした二、三の権威者文献からの引用が多く、あまり独創的なものはないですね。このなかでは、ジョージ・リッツァの『マクドナル化する社会』などは優れていると思います。ぜひご一読をお勧めいたします。

しかしながら、日本でも例えば、「グローバル化とアイデンティティ・クライシス」について、先週開かれました「宗教と社会」学会の学術発表論文の中で、若手の学者がすばらしい発表をいたしております。グローバリゼーションの中の伝統的宗教とアイデンティティ・クライシスについてケーススタディですが、それぞれのケーススタディを通して、多元主義の中におけるグローバリゼーションの波をかぶった宗教のあり方、問題点などを社会学的な手法で分析し、方向付けをしております。「教理の交換」や「相互理解」の中からでは出てこない、現実社会に生きる宗教変革の問題を取り扱っています。そういう宗教社会学の方面からの研究者の報告のほうが、従来の宗教学者や神学者、そして国際政治学者の発題・解説より、より適切で、宗教者にとって身に迫ってくるものを提供してくれるのではないかと思います。まあこれはひとつの提案ですが......。

さて、話題を宗教間の対話、平和会議に戻します。先ほど申し上げましたように、戦いの中でも祈りというのは、大変な意味を持っているものです。今日の民博の岸上先生のイヌイットのお話でも判りますように、人類学者というのは、現地に行って調査されてくるから説得力がある。やっぱり、宗教者平和会議というのも、戦争の現場に行って、初めて「平和というのは何か?」ということが解るのではないか。一日三食頂いて、八時間寝てですね、レセプションなどやっていても、平和とはあまり関係ないと私は思うわけですね。いかがでしょうか?

三宅先生は、私から何度もこの話を聞いておられるから「もう慣れてるわ」という顔をしてお聞きになっているようですが......。ともかく個人的にそう考えておるわけです。失礼があればお許し願いたい。先刻、ローマのグレゴリアン大学で、「天理教とキリスト教」というテーマでいわゆる「対話」がありました。私がバチカンの諸宗教対話評議会といったところに行きましても、神父さんと議論をしました。「全くそうですなぁ」ということは、あまりやらない。同意するために、わざわざローマまで行く必要はないと思うのです。

残念ながら、向こうがこちらを知っているより、私のほうが向こうをはるかに知っているからです。したがって、日本の宗教者は、ご意見拝聴より、外国の宗教者にこちらのことを正しく、もっと知ってもらうために、もっと時間を取り、もっと発信すべきだと主張したいのです。

ハンス・キュングが「対話」についていろいろ書いたり、熱心に行動していますが、彼が言いたいことの結論は、次の三つなんですね。まず、第一は「諸国家のための世界倫理がなければ、人類に生命はない」、二番目に「諸宗教間に平和がなければ、国家間に平和はない」、三番目に「諸宗教間に対話がなければ、宗教間に平和はない」。そういうことで、宗教間に平和がなければ人類の生命はないと......。地球倫理を構築していくためには、諸宗教間の対話が必要なのだということを言っているわけなんです。しかし、はたして、地球倫理の前提となる宗教間対話は、効果ある形で具体的な世界平和と地球倫理の構築に役立っているか?役立っていないとすれば、それは何故かということを、謙虚に反省しなければならないと思います。反省と懺悔は宗教の専売特許みたいなもののはずですから......。

対話は平和をもたらすか?

とは言っても、原理主義者を前にして私たちアジア人は、少なくとも私は、どうこの問題を越えられるかがなかなか判らないときがあるのです。例えば、ピーター・オンというコロンビア大学の宗教学の教授が・・イスラムの専攻の方ですけれども・・こういうことを言っております。イスラムにおいては、「攻撃は、許されるばかりか、合意されたコンテクストの中で、大切な行為として道徳的に神聖化されているという事実がある」と......。だから、「戦争をするということは、道徳的に神聖化されている正しいことなんだ」と言うわけですね。イスラム教では、(正しい信仰を守るための戦争を)ジハードといいますね。聖戦ですよね。「戦争で死ななければ、天国へ行けない」と教えます。

しかし、何が聖戦で、何が俗戦であるかは、人間が決めるわけでしょう。多数決で決めるのではないわけですよね。まあ民主的な戦争なんてないと思いますが......。アフガニスタンではもう二十年間も戦争が続いています。二十年前に生まれた子供は今、二十歳です。子供たちは、生まれてから平和なんて知らないんですね。アフガニスタンは、あのアレキサンダー大王が、世界征覇を諦めた場所ですから、民族の誇りがあるんでしょうね。四十数回英国が、カブールを陥そうとして陥せなかった。

ゲリラをムジャヒディーンというのですが、彼等は私にこう言ってました。「アメリカ兵は赤ん坊だ。ロシア人は子供だ。ユダヤ人こそが大人なのだ。あいつらが背後でアメリカやロシアを操っている」と......。私は最初から「この戦争は百年戦争になる」と言っていました。いまやその様相を呈しています。このことがみんな解らないんですね。アフガンのゲリラは最初七派に分かれておりました。現在では、タリバーンがだいたい全土を制圧したと言われていますが、将来どうなるか判ったものではありません。

そのタリバーンが国連仲介の会議に出るんですが......。一応タリバーンは「コンセンサス(停戦合意)」を一度は出します。しかし一週間後に破ります。会議で成立した「コンセンサス」なんて意味がありません。会議に出るのは、仲介者に義理を立てているだけなのです。実際には、強い者が勝つんですから......。戦いが全てであり、仲介は騙し合いと私たちには思われる程です。彼等の話し合いの中身がさっぱり分からない。報道も詳しくされません。「対話」で戦争が終わるなんて、彼等にはそんなアホなことはないですね。アフガンの戦争の歴史を勉強すればそのことはすぐに解るような気がする。

それを、「対話」で平和が来るなんてことは、イスラムの原理主義の人たちから見れば全くのナンセンスではないでしょうか?そういう現実を知った上で、それでは「対話」から平和を導くためにはどうすればよいかというと、「対話の対話」をやらなければならない。僕はそう思いますね。そうすると、「対話の対話」とはどういうことなのかを考える必要があると思いますね。

そういうことで、一方ではグローバリゼーションが浸透してくる。局地戦争よりこちらのほうが実はもっと恐しい。何故かというと、グローバリゼーションは、文化や社会の画一化を合理化という名の下にやってしまうからです。その反発として、民族主義や原理主義が文化・宗教の固有性を護ろうとして、よりその主義主張が頑強になる。国家主義もそれに従う。国際化時代が後退して、第三次世界大戦がより複雑な形で起こりかねない。しかも、それはコソボに見られるようなコンピュータ戦争である。貧しい民族、国民がその被害者となる。そのことに原理主義者は反発しているのです。

先進国がもっとも恐れているのは、この反逆精神が宗教という固い信念に支えられているという事実です。先月の『トリーガー』という科学誌は、グローバリゼーションの特集を組んでいました。「世界のルールは右手に論文、左手に特許」、「特許大革命」、「グローバル時代の特許戦略」という特集がありまして、欧米各国は、国際競争力を強める政策の核に特許を置き、知的財産権の強化を進める方向に一斉に動き出した。「国際市場で生き残りをかけた新たな挑戦の始まりだ。世紀を越えて世界経済が着実な発展を約束するキーワードは、グローバリゼーション、イノベーション(発明)、そしてパテント(特許)だ」というわけです。日本も遅れてはならずと、特許制度の改革を急いでいる。また、司法も変ろうとしている。大学、企業、そして国民の意識も大きく変わらなければ、日本は生き残れないと煽っています。つまり、「最初にグローバリゼーションありき」なのです。経済界では......。宗教界はどうかというと、脳死・臓器移植の問題をとってみてもハッキリしない。脳死とは死のグローバリゼーションそのものだと思うのですが、如何なものでしょうか。

登る道が違えば大違い

そういったなかで、「宗教はひとつだ」と言われる方もおられます。「登る道はみな違うけれど、山頂はひとつなんだ」ということなんですね。しかしたとえば、神社神道の幹部の方で上田賢治という國學院大学の学長さんが「宗教をひとつにしようとすることなど、どないしても無理である。違うからこそ協力し合える」ということを非常に説得力のある形で述べておられるのです。が、私に言わせれば、逆に言えば、そのことは、「宗教がたくさんあるから戦争が起こる」と言える。違うから協力できるけれど、違うから戦争するんだという現実もある。

違うということと、たくさんあるということ。いろんな異質な宗教が混在しているということは、なかなか調和共存が難しい。だからといって、改宗伝道の延長線は、宗教戦争に繋がりかねない。多元主義というのは、そうなると袋小路に入ってしまう。多元主義の発想それ自体はすばらしくニュートラルだけれども、それをマイナスに発動させるのか、プラスに発動させるのかは、結局、人間の倫理的、宗教的決断であり、自分自身の人類愛に基づいたそれぞれの宗祖、教祖に学ぶ宗教心、信仰心しかないでしょうね。したがって、如何なる時代においても大切なのは、自分が帰依する、自分に最も近い教祖に帰るということではないかと思います。

たとえば、工学博士で浄土真宗の僧職にある方は、「(山頂=究極的な実在への)道がいくつもあるというのは、山を眺めている人だ。自分が通る道はひとつだ」といういいことを言っていますが、その後で、「親鸞の道はみんなに開かれている......」と、ここでトーンダウンるすんですがね。それに、たとえば、仮に「(山頂への)道がたくさんあっても頂点(究極的実在)はひとつだ」という考え方を受け容れ、頂点に到達しても、その人が見てる方向によって景色が違うわけですから、頂上はひとつだと、頂上に行くのが完成ではなくて、そのひとつの頂点に到達すると、また景色がいろんな道をたどりながら見ているよりさらに違ってくるんですよね。

その事実を忘れて「頂点はひとつだが道はいろいろある」などと、アホなことを偉い人が言っている(会場笑い)のを僕は不思議でかなわない。全然、現実に根ざしていない観念的な発言であります。そういうことで、これでは、対話なんてできないと思いますね。

時間の関係で、私が考えてきたことがひとつも言えてなくて…。それでも、神が「そのようにしゃべれ」とおっしゃっているのでしょうから、準備した原稿以外のことを喋りまくって非常に恐縮しております。三宅先生に(講師をするように)命じられて、だいぶ悪戦苦闘して、100冊近い資料を読みましたが、それでも、胸を打つものがひとつもなくて、ただ「情報量が増えた」だけです。自分の決断を左右するものはひとつもない。こちらから飛んで行って、著者のひとりひとりに会って文句を言ってやろうかと思うぐらい腹が立って、「本代が損した」と…(会場笑い)。

おかげで、本の量だけはたくさん増えましたから、本棚を見せてあげましょう。あまり先生方はお読みにならないほうがいいでしょう。宗教学者の言うことは、あまりためになるようなことはないですね。たまには、(ためになる本の)ありますが印象に残らない。宗教者平和会議で偉い宗教学者の話を聞きますが、学者の話には、頭を打っても、胸を打つものがない。宗教者の対話は、やはり偉い話や頭脳の話より、胸を打つ話がいい。つまり、実践家の話を聞かれるほうがなおさらいい。人助けをしたことがない人たちの話は、宗教者にとっては有り難くない。

隠れて祈れ

たとえば、私がシンガポールで布教のまねごとをしていた時の話です。世界宗教者平和会議のアジア版(ACRP)のお手伝いをさせていただきましたが、その会議にマザー・テレサがインドから参加されました。そこで、彼女は「私は貧者の代表として来た」と、スリッパを履いて、質素なワンピースに勿論化粧などはしておられない。失礼ですが、そこらの街で会ったらおばんという格好で来られたのです。彼女が舞台に登場したら、日本の「偉い」宗教の代表者が立派な背広を着て、カメラを持ってバァーと前に走り出てきた。全員彼女の写真撮ってるんですね。シャッターの音でマザー・テレサの話が最初は聞こえなかった。

それを見て、同じ平和を祈る宗教者の中で、「えらいこれは対照的なことが起こってるな」、これが真の宗教者対話かと思ったほどであります(笑い)。「私は貧者の代表として…」というマザー・テレサの言葉、これはほんまもんの宗教者の言葉だと思いましたね。なにしろ愛の説明・解説者ではなく、実践者ですから…。一方、日本の宗教者は、なぜあんなたくさんの写真撮ってるのでしょうかね。そんなフイルム代があれば寄付をしていけばいいのに。普段言っていることと、いまやっていることがまるで違うと、私は自らもはんせいしながら非常に恥ずかしく、また自分にも何故か腹が立ったことを覚えています。いわゆる義憤というやつですね。自分も若かったからでしょうかね。

さて、宗教者の「対話」ということを考える時、蓮如がとった法話の時の「平座」という姿勢が参考になると思います。『蓮如上人御一代聞書』の第一部空善記の解釈にあるんですが、蓮如は「上段を避けられ下段を同じものに平座にさせられ候(門徒と平座で法話をされた)」とあります。個人布教活動をもたれた伝道者にとっては、こういった態度は当たり前のことだと思っていますが、当時は上段から僧侶が下段で聞く信徒にむけて説教していたのに、蓮如はこれに反発したのだと思われます。そこが蓮如の偉いところで、宗教者の「対話」の姿勢もこのようにあるのが、本来の姿と思われます。

それから、もうひとつ。よく国際的な宗教者会議では各宗教代表による「祈り」を必ずやられますが、「祈り」というのは、そもそもプライベートなものであって、ステージに立って交換するようなパフォーマンスではないと思うんです。コンフィデンシャルな(内密にする)ものだと思います。私が祈っている時に周りから写真をパチパチ撮られたりしたら非常に不愉快です。舞台でやる祈りは、本物の祈りではないと思うのですが、いかがでしょうか。宗教に欠かせない大切な祈りは、その宗教の聖なる領域で勤められるのであって、それ以外の場所で行われる祈りは、あまり御加護がいただけないのではないか。信仰はパフォーマンスであってはならない。

神道の祝詞も神に向かって行われるのであって、お社のない俗なる国際会議場の上段で聴衆にむかって祈りをやっていても、どうもしっくり行かないと思います。祈りはそもそも、神に向かってするものですから。したがって聴衆の前に立っての祈りは、基督教では抵抗感はないかも知れませんが、東洋の宗教ではどうなのでしょうかね。少なくとも、私にはそういう習慣がないからとても出来ません。その習慣を変えるのが、宗教の国際化、グローバリゼーションと言われるのなら、それは宗教の個別性を否定した欧米化であると強く反論をしたい。

基督教のバイブル、新訳の『マタイによる福音書』にも「祈るときも、あなた方は偽善者のようであってはならない。偽善者たちは人に見てもらいたいと、街道や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らはすでに報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋へ入り、戸を閉め、隠れたところにおられる、あなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところを見ておられるあなたの父が報いて下さる。また、あなたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはいけない。異邦人は、言葉数が多ければ聞き入られると思い込んでいる。」と、祈りのあり方について的確に注意をしておられるではないですか。

うるさい虻になれ

それから「対話」にしても、これは新約の『使徒言行録第二』の「聖霊が降る」という章の中で、故郷のことは皆が方言でしゃべっていると書かれているんですね。これを引用していると長くなりますから、やめておきますけど、要は「解かる言葉でしゃべれ」というわけです。私は関西弁でしゃべるのが一番しゃべりやすいし、聞くほうもしっくりと伝わってくる。同時通訳の方は困るわけなんですけど、彼らはそれで飯食とんのやろ、わしゃ知らん、そちらはそちらで苦労したらええんかと言うわけです。(会場笑い)

「対話」といえば、私は哲学をかじりましたから、本日の講演のために『ソクラテスの弁明』とかいう、ソクラテスの『対話』編を久しぶりに読んでまいりました。ソクラテスは「自分はアテネの虻だ」ということを言ってますね。アテネという巨大な馬が眠らないように、耳の所でブンブンうなっている。眠ろうとしている馬が喧しいものだから、彼を捕まえて死刑にしちゃうわけですけれど…。自分(井上)は「アテネの虻」でありたいですから、皆さんは、少なくとも日本の宗教者は、世界の平和のためにやってはならんことに対して、ブンブンブンブンうるさく叫ぶ虻であっていただきたい。私はローカルな天理教の「虻」になりたいと思ってやってますので(会場爆笑)。

ソクラテスの話を聞くと、皆「しび痺れちゃう」と言うんですね。「ソクラテスは痺れエイである」というのも『対話編』の中に載っています。今、寝ておられる方もたくさん居られますけど、それぞれが教団の「虻」であっていただきたい。相手を痺れさせないと宗祖・教祖に痺れて信仰をさせていただいている私たちは、教祖に対して申し訳ないというように思うんです。

『深い川』と「意味のある偶然の一致」

最後に、「宗教多元主義とグローバリゼーションの行方」について、時間が経ってしまいましたので、簡単に申し上げてみたいと思います。レジュメにあります「対話と文学」ということに関して、遠藤周作の『深い川』という作品に注目したいと思います。この作品は宗教の神学に大きな一石を投じた作品であって、宗教間対話の可能性と限界を合わせて提示した作品であります。これは三島由紀夫の『豊穣の海』という四部作のテーマとも比較されますが、遠藤の場合は、作家としてのテーマとの苦しみがより集約して出ておると思います。これは他の言葉で言えば、5人の主人公を通して、異宗教間の対話の可能性と限界を文学的に述べた作品であるとの解釈も可能でしょう。

遠藤は自分の今まで感じていた多元的な価値観の統一という問題。つまり、基督教の絶対性、排他性と、一方、多宗教の個別性とその現実の間の問題を解決するために、『深い川』という作品の主人公を通して自らのさまざまな考え方を語らせています。その中で遠藤は、彼独自のメタファー(隠喩)を使って、キリストを「玉ねぎ」と主人公に言わせます。自分が「玉ねぎ」と表現しているものが、イエス・キリストの愛の塊だといっているんです。玉ねぎを剥きますと涙が出ますよね。そして剥いているうちに最後には無くなってしまう。仏教の世界に近づいちゃうわけです。そのプロセスは涙だと。これは私の解釈です。

それを英国の神学者ジョン・ヒックは「究極の実在だ」と言って、中心に「実在」を置いて、キリスト教を含む諸宗教が太陽の周りを惑星が回っているというアナロジーを通して、キリスト教の排他性の問題を越えようとしました。遠藤の場合、「実在」が大地から湧いてくるような感じですね。だから「踏絵を踏む足も痛い」と言ってますよ。凄いこと言いますね。僕は彼とは一回しか会ってませんけど、最後まで病の苦しみ、そして一神教の排他性についていかに異宗教との融和を理想的、実践的に昇華しようかというなかで、精神的な苦しみをるる縷縷日記に書いて残しています。彼が一番苦しんだのはそのことです。彼はある日、教会の聖堂に置き忘れられていた、このヒックの『宗教多元主義』という本に全く偶然に出会い、大いに神学的に自説に自信を得たと思われます。

彼はC・G・ユングの「意味のある偶然に一致」について非常に深層心理に関心を持っていました。ある時、哲学者である間瀬教授と門脇神父が――門脇神父は座禅を長い間やっている神学者でもありますが――「イエス論」で激論というか喧嘩をやり始めた。片方はキリスト教の哲学者で、もう片方は神父さんです。この二人が激論を始めたというんです。そのとき外では激しい雨が降り始めました。外の物理的雨というのは議論とは関係無いんだけれど、「外は嵐のようだ」と言って、心とモノ、つまり激論と豪雨の共時性を日記では強調している。 (実際に)その時の天気を調べてみれば、あまり激しい雨ではなかったのかもしれない。そこをドラマティックに遠藤は書いているわけですね。「司会者の私(遠藤)は、ヒックの考え方と従来のキリスト論の間で引き裂かれて非常に困惑した」とも書いています。

ユングとフロイトが激論しているときに、引出しの中でスプーンがバンと破裂したという有名な両者決別の話を、ユングを知っている人はかならずここで思い出す。遠藤は晩年、「意味のある偶然の一致」という共時的事象に異常なほど関心を持っていました。話はそれましたが、いずれにしても是非『深い川』という作品は異宗教者間「対話」において、非常に参考になる作品ですから、ご一読いただきたいと思います。

さて、宗教というのは本来的に「自らの信心の絶対性」を主張しますよね。「自分の宗教は世界で三番目だ」とか、「去年は四番目だったけど、今年は二番目だ」なんて絶対に言わない。数量の問題じゃあないんですよね。信者が多いから一番だなんて言わないですよね。本来的に宗教というのは自らの「信心の絶対性」を主張する。どの宗派も信者に向かって、「罪とか煩悩とか執着的な生き方はいかん。利己的であってはいかん」と個々の信者に向かっては説いているわけですが、自分自身の宗教には執着しているという逆説の上に成り立っている。ところが、グローバル化の波の中で副産物として多元主義的な考え方が出てきた。宗教対話が進んでいくのにしたがって、だんだん自らの信じる絶対的な信心が相対化されてひとつの危機的状況を生み出すわけです。そこでこういった危機的状況が進行する中で、宗教が向かうべき道は二つしかないと私は思います。

まず第一は、相対化に直面する宗教伝統の特殊主義的な再活性化。つまり「原理主義」という方向性がグローバリゼーションの中からアイデンティティー・クライシスを避けるために生まれてくる。これは「サルマン・ラシディ氏事件(註:イスラム教の預言者マハンマドを揶揄した作品『悪魔の詩篇』を刊行した英国在住のインド人作家に対して、イランの宗教的最高指導者ホメイニ師が暗殺指令を出した事件)」を思い出すとよく理解できます。イスラム教が宗教グローバリゼーションに対抗して、さらにそのアイデンティティーを保つために原理主義の方向へ向かう道であります。進行の相対化は絶対に許さない。グローバライズしないという道であります。それは逆に自分の宗教をグローバライズしようとしている道とも言えます。いま進みつつあるグローバライゼーションに対して、反逆するエネルギーがグローバライゼーションによて逆に湧き起こってくる。これが第一のこれからの宗教が向かう方向です。

第二番目に、固有の伝統文化としての宗教がその特殊性という自らの性格を脱却して、グローバル化に対してよりオープンでリベラルな姿勢で対応するという方向性。この二つです。この方向は、欧米のパラダイム、科学的合理思考に影響されやすい宗教団体に見られます。それがその宗教の本来性を消す様なものになるかどうかは、まだ時間を経ないと分かりません。

その他の折衷タイプは現実に見られますけれど、先ほど紹介しましたピーター・ベイヤーの『Religion and Globalization』という本をご参考いただきたいと思います。ベイヤーはその著書で、グローバル化に対する宗教の「内在と超越」「普遍と特殊」というパラドクシカルな同時性とその状況、そしてその性格を明らかにするために、五つのケーススタディーを行なっています。それは「The New Christian Rights in The U.S.(アメリカ合衆国における新キリスト教右翼)」、「The Liberation Theological Movement in Latin America(ラテンアメリカにおける解放の神学)」、「The Islamic Revolution in Iran(イランにおけるイスラム革命)」、「New Religious Zionism in Israel(イスラエルにおける新ユダヤ教国家主義)」、「The Religious Environmentalism(宗教的環境保全主義)」の五つです。

ベイヤーの宗教多元主義的な関心よりさらに具体的、現実的であると思います。ベイヤーの扱った問題こそが、宗教「対話」に導入されるべきだと私は考えます。神学的議論では、現実の問題に切り込んでいくことはできないでしょう。宗教間「対話」がこういった視点をも今後取入れられんことを提案いたしたいと思います。

例えば、現在進行中であるグローバリゼーションの中で、宗教文化が特殊で閉じられたインドでは、インドの女性がミニスカートをはき始めた。それに対してひとつ上のジェネレーションが批判するわけです。しかし、「そうは言っても…」ということで対話が異世代間で始まるわけです。このように実例を通して「対話」をしないと、理念的な「対話」をいくら宣言したって何にもならないと思うわけです。宗教の流動するダイナミズミを抜きにした観念的な「対話」は、その内容において、いま、変革を迫られていると私は思っています。それが何であるかは「対話」者自身が認識して、勇断をもって「対話の対話」に踏み出すべきだと思うわけです。

サルから学ぶグローバリゼーション

最後に、小話で私の話を終わらせていただきたいと思います。このところ、八王子市あたりサルが都心(麻布)に迷い込んできたということで、警官が追いかけ回したというニュースが出てましたね。私もサルに関心を持ってますので、それをフォローしたんです。そうすると、昨日(6月18日)の毎日新聞の『余録』に、こういうのが出ていました。「昨日の朝、地下鉄のホームを歩いていると、向こうの柱の蔭でうずくまっている生物がいるのに気がついた。背は低く、毛は茶色。とっさに思った。『サルではないか』十六日の朝、東京の真中、西麻布の住宅街でサルが現れ、警察官の追跡を振り切って夕方姿を消したという話があったばかり。地下鉄にサルが現れても不思議がない。そばに寄ったら、サルではなく、うずくまった茶髪の若者だった(会場笑い)」 非常に象徴的な話であります。

最近の「サル学」の進歩は非常に発達しておりまして、私はチンパンジーやオラウータンの研究をされている河合雅夫先生とお話をして、「サルから学ぶことはありますか?」とお聞きしましたら、たくさんあるんですね。例えば、年老いた母サルが残されて群から離れるんです。ところが、若い雌サルがその面倒を見るため群れから離れて来るんです。その雌に引かれて若い雄サルがやってきてひとつの新しい群ができちゃうんです。最近の人間はサルよりも悪い。親が病気になったらどこか病院に放り込んでおけというような案配で。その他にもサルの話はたくさんあるんですが。『サルに学ぶ』という本が出ないかなと思うほどなんであります。「人間から学ぶことは最近あまりない」と…(会場笑い)。

以前は、「ボスザルが群を統率して移動する」と考えられていたが、最新の学説は違う。「ボスは存在しない」というんです。サル学の現在の真実です。「サルはお互い他のサルの動きを気にしている」んです。自分が特に気にしているサルが動くと、それにつられてサルどもは動く。これはグローバリゼーションの一原形じゃないでしょうか。サルのほうが先にグローバリゼーションやっているんです。こうして引きずられながら動きが次々に波状的に広がっていく。全体としてひとつつの流れが形成されると皆がそれに遅れまいとして、その流れに乗って動いていく。『余録』には、最後の落ちがあるわけです。「まるで今の自自公の政治のようだ(会場笑い)」。ボスは存在しない。互いに他人の動きばかり気にして、流れが出てくるとたちまち飛びつく。サルは永田町にいるというわけですね。

さらに言えば、サルは「永田町だけではなくて宗教界、教団にもいるんじゃないかな(会場笑い)」と思うんですよね。皆さんのところは判りませんが、先日ある人に、「お前、木登れるか?」と言ったら「は? 何ですか?」と言っておりましたけど。そういうことでサルになる危険性をお互いに意識しながら、宗教の「対話」についての私の暴言は終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。