続編へ飛ぶ
ガメラ3:怪獣は地球環境維持装置だったのか?     
             
1999.3. 31

レルネット主幹 三宅善信


▼平成のガメラシリーズ

春休みである。早速、子供たちと一緒に、話題の怪獣映画『ガメラ3:邪神(イリス)覚醒』を観た。ここ数年間に観た怪獣映画の中では出色の出来であった。少なくとも、鳴り物入りで昨年封切られたハリウッド映画『Godzilla(ゴジラ)』よりは、はるかに面白かった。もちろん、ハリウッドと、日本映画界でもマイナーな大映の資金力の差は歴然としているので、役者のギャラやCGに使われた費用は大違いであるが、それにしても、テーマ性という点では、『ガメラ3』の方が勝っているように思われる。そして、映画館にいた200名程の観客のうち、子供はうちの子供たちを含めて、ほんの数人で、あとはほとんど成人男性であったのには驚いた。

主なストーリーは以下のとおりである。

@1999年、地球規模の異常気象によって、世界各地で人間を喰う怪鳥ギャオスが大量発生する。
A深海調査船「かいこう」が日本海溝の深海底で「ガメラの墓場」が発見される。
B数年前、ガメラが東京に出現した時の都市破壊で両親が死亡した少女比良坂綾奈(前田愛)が、奈良県の山村に住む親戚に引き取られている。
C古代以来の災い「柳星張(=南斗七宿のうち、「柳」は頭、「星」は赤い南斗の守護神、「張」は翼を広げた姿を意味することから、「四神獣」のうち「朱雀」を意味すると考えられる)」を封印してきた「玄武(亀型の石=北斗七宿の守護神)」を祀る洞穴が少女たちによって荒らされる。
D渋谷上空にギャオスとガメラが飛来し、激闘を展開。街が大破壊される。
E日本政府部内に巨大生物(ガメラ・ギャオス)対策審議会が設置される。
F少女綾奈は、洞穴で封印を解かれた卵から孵化した生物(ギャオスの変異体?)に「イリス」と命名し、これを飼育し始める。
G内閣安全調査室に所属する妖艶な美女朝倉美都(山崎千里)が、推測統計学者でゲームソフト作家の倉田真也(手塚とおる)と共に、なぜガメラが日本にばかり来襲するのか?ギャオスとガメラの関係は?等の謎解きを始める。
H急激に成長したイリスは、「ガメラ憎し」の感情で凝り固まる少女綾奈の意識と同化し、強大な怪獣となる。
I怪獣イリスの出現によって、自衛隊の攻撃目標がガメラだけでなくイリスも含まれることになる。
J公安関係者に連れ去られた綾奈を追いかけてイリスが京都に出現、これを追いかけてガメラも京都に飛来。
K巨大な新京都駅ビルを舞台にガメラとイリスが激闘の末、朝倉と倉田はバトルに巻き込まれて死亡。
Lガメラによって助けられた綾奈はガメラの行動(破壊と殺戮)の真意を知る。というストーリーである。

今回の『ガメラ3』は、「平成のガメラシリーズ」として復活した3部作の最終回として位置づけられている作品である。われわれ四十代男が小学生の頃に観たオリジナルの大映ガメラシリーズとは、制作スタッフはもちろん総替わりである。むしろ、あの頃、ガメラを観て育った世代(脚本の伊藤和典は1954年生まれ、監督の金子修介は1955年生まれ)が、自分たち流で再解釈して創ったのが今回の「平成のガメラ」3部作である。『ガメラ3:邪神(イリス)覚醒』への分析を加える前に、まず、「昭和のガメラシリーズ」に対する概略を述べねばなるまい。

「クルクルと火を噴いて回転しながら空を飛ぶ(よく飛んでいる方向が判るものだと子供の頃、不思議に思っていた)亀型の怪獣」という驚くべき設定でガメラが制作されたのは、もちろん、東宝のゴジラシリーズが大成功したことの刺激によるもの(同時期に制作された『大魔神』シリーズについては、萬遜樹氏の『大魔神・ウルトラマン・仮面ライダーにおける「カミ」の三変態』であるが、いつまでたっても、この二番煎じ怪獣は、映画会社の大映同様マイナーなイメージが拭えなかったが、それだけに、制作サイドとしても気楽なもので、いろいろな「実験」をして、観客を楽しませてくれた。シリーズで主役を演じた本郷功次郎は、ある時は南洋調査隊の隊員(「ガメラ対バルゴン」)、ある時は道路公団の現場監督(「ガメラ対ギャオス」)、またある時はカブスカウトの隊長(「ガメラ対バイラス」)と、毎年、違う役で主演し、少年時代のボクは「次々と職業を変えたのに、人生で何度も怪獣に出くわすとは、なんという運の悪い人だろう」と思ったものだ。

しかしながら、この映画も、1970年代のゴジラシリーズやウルトラシリーズが辿ったような堕落(詳しくは、拙エッセイ『堕落したウルトラマン』を読まれたい)の一途を辿っていった(「ジャイガー」、「ギロン」、「ザノン星人」等)ことは今さら言うまでもない。これらの作品群の中で、ガメラは「破壊者」から「少年たちの守護神」へと性格を転換させていった。堕落した怪獣映画にすっかり失望していた私たちの世代(=40代)が納得できる怪獣映画の再出現を見るのは、自分たち自身の手で怪獣映画を作成できるようになる平成時代を待たねばならなかったのは、ウルトラシリーズ(拙エッセイ『ウルトラシリーズと共観福音書』に詳しく説明されている。


▼美女と怪獣:誘因物質は何か?

さて、『ガメラ3:邪神(イリス)覚醒』と話を戻そう。本作品では、平成のガメラ3部作の謎(怪獣映画一般に共通する謎でもある)が解明されてゆく。すなわち、西洋(ユダヤ・キリスト教)文明風の世界理解では、「万物の霊長」として超越的創造主(God)からすべての生き物の支配を委託されている人間――生物学的に言えば、食物連鎖の頂点に立つヒト――の優位性は揺るぎないはずであるが、冒頭の部分で、いとも簡単にこの「常識」が覆される。専らヒトを補食する生物としてギャオスが位置づけられているのである。大型動物のほとんどの種が絶滅の危機に瀕している(ゴリラは数百頭、ライオンでも数万頭しかいない)のに、ヒトだけが数十億人いるのは明らかに「度が過ぎて」摂理に反している。この増えすぎた人口を調節するために「母なる地球」が生み出した「怪獣」がギャオスである。全地球の生命体という観点からすれば、「ヒトこそ怪獣」であるのはいうまでもない。人類が絶滅するのが、他の生物にとって最もよい選択肢である。この考え方を映画の中で主張するのが、倉田真也である。

古くからある怪獣映画に対するもうひとつの疑問、すなわち、「なぜ、怪獣は地球の表面積の1%にも満たない日本ばかり襲撃するのか?」という疑問である。もちろん、「日本の映画会社が作成し、観客も日本人がほとんどだから」と言ってしまえばそれまでのことであるが、少なくとも「映画の中の説明」としては、それでは不十分である。かつて、ゴジラシリーズの中で、ゴジラが専ら日本を襲う理由として「日本には放射能やエネルギーがあるから」という説明がされていたが、それならアメリカのほうが遥かにたくさんあるではないか…。たぶん日本のどこかに「猫にマタタビ」のような怪獣を引き寄せる環境ホルモンのごとき誘因物質(フェロモン?)があると考えるのが自然である。

そういえば、平成のガメラシリーズでは、主演は常に可愛い「女の子(男女雇用機会均等法だと、御法度な表現になるが…)」である。ガメラと常に心を通わせる草薙浅黄(藤谷文子=俳優スティーブン・セガールの実娘)はじめ、ギャオスを追い続ける鳥類学者長峰真弓(中山忍)、それに今回の主役比良坂綾奈(前田愛)と朝倉美都(山崎千里)と、いずれ劣らぬ美女づくしである。私の分析では、怪獣たちは、彼女たちの発散するフェロモンに引き寄せられて来たのではないか? てな訳はあるはずないか…。それにしても、キングコングの金髪美女(これも御法度なセクハラ表現だ)にしても、モスラを呼び寄せる双子の妖精にしても、怪獣映画に美女はつきものの要素であることは間違いあるまい。そう、文字通り「Beauty and the Beast(美女と怪獣)」だ。

どんどんと話が横道に逸れて行ってしまう。私は今、新幹線の車内でこの駄文を認ためている。今回の『ガメラ3』で破壊された巨大なJR京都駅ビルが見えてきた。もうすぐ終着駅なので、本日のところはこの辺で筆を置きたい。本格的な謎解きを含む続編は、近日中に掲載予定。


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