ダイナスティ:両大統領就任式を見て
       01年 1月24日
レルネット主幹 三宅善信

 2001年1月20日、地球が一周する間にわれわれは、洋の東西で2つの大統領就任式を見ることができ、新たな歴史の証人となった。ひとつは、過去何世代にもわたってこの日(1月20日)に大統領就任式を行ってきたアメリカ合衆国のジョージ・W・ブッシュ氏の大統領就任式であり、もうひとつは、民衆パワーの結集によってエストラダ政権が崩壊したことにより、図らずもこの日、フィリピン共和国の大統領に就任することになったグロリア・M・アロヨ女史の大統領就任式である。太平洋を挟んだこの両国には、一見、大きな違いがあるように思われる。前者は、経済的にも政治・軍事的にも世界に冠たる超大国アメリカ合衆国であり、後者は、経済的にも政治・軍事的にも東アジアの「お荷物」と言われるフィリピン共和国である。しかしながら、この両者には、思いの外の共通点があり、日本人には想像もつかない"共和制"というシステムが機能しているのである。

宣誓を行うブッシュ新大統領 宣誓を行うアロヨ新大統領

 私は、これまで3年間(1998年1月24日に「レルネット」サイト公開)にわたって「主幹の主観」シリーズを通して、何度となく主張してきたことがある。それは、「日本には、欧米的な意味での"民主主義"は存在していない」という説であり、そろそろ「グローバル・スタンダードという明治以来、この国に憑いてきた幻影から目覚めなければならない」という主張であった。その意味で、今回のアメリカとフィリピンの政権交代劇というのは、本当にいい材料を提供してくれていると思う。それでは、まず、ブッシュ大統領の就任式のほうから見ていこう。


▼アメリカ:世界一古い民主国家

 歴史上稀にみる大接戦を演じ、投票終了後も開票作業を巡って1カ月以上も混乱をきたした結果、ジョージ・W・ブッシュ氏がアメリカ合衆国の第43代大統領に就任した。フロリダ州の開票結果(の解釈)を巡るゴタゴタについては、既に多くの識者が論じているので、あらためて私が解説を加えるまでもないが、「各州において、一票でも多く得票を集めた候補がその州に(人口に比例して予め)割り当てられた選挙人団を全て獲得する」というアメリカ"合州国=United States"の大統領選挙独特のシステムによって、全米の総得票数では、アル(バート)・ゴア候補(副大統領)より約70万票も少ないブッシュ氏が、"父親の仇"を討って大統領に当選した。その就任式が、寒風の吹きすさぶ1月20日、Capitol Hillと呼ばれる連邦議会前特設会場で行われ、全世界にTV中継された。

 読者の多くは、アメリカ合衆国は「新しい国」だと思っておられると思うが、それは間違った認識である。アメリカ合衆国は、南北アメリカ大陸における最も古い独立国であると同時に、世界中で最も長い歴史を有する"民主主義"国家でもある。アメリカがその宗主国であった英国から「独立」したのは1776年のことであり、市民社会が専政君主制を打倒し、『権利の章典』などを制定した1789年のフランス革命よりも13年も前のことである。しかも、現在のあの「解りにくい」大統領選挙システムも、"合州国"独立以来、ほとんど変わっていないそうだ。もちろん、独立当初のアメリカは、現在まで「New England」地方と呼ばれているマサチューセッツ州やコネチカット州など、東部の13州の連邦としての"合州国"であったが…。その後、百数十年の歳月をかけて、そのフロンティアを西へ西へと拡げ、最後に、アラスカとハワイが加盟して、現在の50州(星条旗の★の数)になった。現在、Commonwealthとして「準州」扱いであるPuerto Rico(プエルトリコ)や Guam(グアム)が「州」に昇格したら、星条旗の★の数はどうなるのであろう。

 アメリカは、移民たちによるNew England入植のそもそもの動機が、英国国教会から疎外されたピューリタン(清教徒)による信教の自由を求めての大西洋渡海であり、これが、モーゼの"出エジプト"の紅海横断の故事になぞらえた「新しいイスラエル」の建設を意図していることは1998年11月に上梓した『アルマゲドン:神によって選ばれた国アメリカ』や2000年3月に上梓した『宗教右派:大統領選挙に見るアメリカ人の宗教意識』や昨年末に上梓した『"ダイナソー"にみる米国人の宗教意識』等の作品で既に述べた通りである。しかも、彼ら(入植者たち)が目指したのは、宗主国であった英国のような君主制ではなく、古代ギリシャやローマのような"共和制"の国家を樹立することであった。今でこそ、世界中の大半の国々は"共和制"を採用しているが、アメリカ独立当時には、世界中のどこにも"共和制"の国家なぞは存在しない帝国主義全盛の時代であった。"共和制"は、古代ローマが帝政を採用して以来2000年間にわたって、ベネチアやハンザ同盟の都市国家あるいは戦国時代の堺など、ごく小規模な例外しか存在しなかったといっても過言ではない。


▼アメリカ:世界に冠たる宗教国家

  そういう訳で、アメリカ合衆国という国家の特徴を一言で述べれば、世界に稀な「共和制の宗教国家」なのである。私はこれまで何度か、「アメリカの宗教性」について注意を喚起してきたので、当『主幹の主観』シリーズ愛読者の皆さんは、20日(日本時間では、21日未明)の大統領就任式のTV中継を視て、十分に確証を持たれたことかと思う。さすがのNHKも、前回のクリントン大統領の就任式直後(1996年3月)に講談社選書メチエから刊行された森孝一同志社大学神学部長の『宗教からよむ「アメリカ」』で、非常に明快に指摘されていた諸点を考慮したのか、今回のブッシュ大統領の就任式では、フランクリン・グラハム牧師による「祈祷」の部分をノーカットで完全に中継(同時通訳込み)したし、正副大統領が「宣誓」を行う時に手を置く"聖書"に関する蘊蓄(うんちく)にまで、手島ワシントン支局長が触れていた。正副大統領共に、宣誓の締めくくりの文句は「So, Help me God.(神よわれを救いたまえ)」であった。

 また、ブッシュ新大統領の就任演説でも、「…創造主(神)が導いてくださる正義と機会を有したひとつの国のために…。…われわれ(アメリカ人)を結びつけているのは、"理念"であって、地縁や血縁ではない…。…アメリカの約束を果たすために、"理念"に対するコミットメントと礼儀を重んじ…。…世界を守るための国であり…。…自分の快適さだけを求める傍観者ではなく、公共のために善を尽くす市民となれ…。…キリスト教徒は教会で、ユダヤ教徒はシナゴーグで、イスラム教徒はモスクで、共に祈って欲しい…。…神の目的は、われわれの義によって果たされる…。責任ある市民によってアメリカの物語は続いてゆく…。…God bless America.(神よアメリカに祝福を与えたまえ)」というような趣旨の就任演説演説であった。おそらく大半のアメリカ人が、そして、相当数のTVの画面の前にいる世界中の人々が、このブッシュ大統領の"説教"を聞いたことであろう。

 この大統領就任式は、単なる政治的指導者の就任式なんぞではなく、森孝一氏の指摘を待つまでもなく、どう見ても、アメリカ合衆国という人類史上最強の国家の"大祭司"の按手礼(キリスト教の聖職者の叙任式)そのものである。聖書、祈祷、賛美歌、説教…。これが、「政教分離(Separation of Church and State)」を憲法修正第1条に戴くアメリカ合衆国の最高権力者に就任式なのである。アメリカ国民が大統領の演説に期待しているのは、経済政策でもなければ国防政策でもない。市民宗教(Civil Religion)の大祭司として、国民を導いてくれる"理念"をこそ求めているのであって、日本の総理大臣の施政方針演説のようなでもなければ、天皇陛下が、皇祖皇宗に対して万世一系の皇位に就いた(践祚)ことを報告される儀式(登極礼)のようなものでもない。 立派な連邦議会議事堂(Capitol)やホワイトハウスという建物があるのに、一年中で最も寒い時期に、前任者が臨席して、わざわざ屋外で大統領の就任式を行うのは、大統領職の継承が白日の下に公明正大に行われたということを満天下に知らしめるための演出である。密室の談合で総理大臣を決める「どこかの国(『総理大臣の欠けたときは…』)とは」大違いである。


▼フィリピン革命の世界史的意味

  次に、フィリピンの場合を見てみよう。汚職や横領に問われているフィリピンのエストラダ大統領が20日、辞任し、憲法の規定により直ちにグロリア・M・アロヨ副大統領が新大統領に就任した。エストラダ氏は、2年前の大統領選挙で、圧倒的な人気で「銀幕のヒーロー」から大統領に選出された。この辺りはレーガン元米国大統領と似ている。東アジア諸国(日本・中国・台湾・韓国・北朝鮮・フィリピン)の中では、最も民主的であるにも関わらず、論外の北朝鮮を除けば、最も経済発展が遅れ、一向に貧富の差が縮まらないフィリピン国民は、画面の中で「強きを挫き、弱きを助ける」ヒーローのエストラダ氏に一縷の望みを託した。日本人的感性からみると、決して「恰好良い」とは思えない同氏であるが、フィリピン的感性からすると、同氏の「清濁併せ呑む」雰囲気が良かったのであろう。しかし、よく考えてみれば、時代劇の『遠山の金さん』や『水戸黄門』を演じている役者に、総理大臣になってもらうようなものである。話の中では、悪徳商人と結託している悪代官を成敗してくれる人が、必ずしも実生活が「いい人」とは限らないのは、いうまでもない。エストラダ氏は、大統領就任後も、公金横領や愛人疑惑や麻雀賭博容疑と次々とスキャンダルが露見し、国民の支持が急降下し、昨秋からは、同国共和制史上初の大統領弾劾裁判が上下両院で行われていた。



 弾劾裁判を受けるエストラダ大統領 

 この国の政治制度は、太平洋を挟んだ大国アメリカとある意味では似たところがある。それもそのはずである。この国は、19世紀末の1898年の米西戦争の結果、キューバやフロリダ州そしてグアム島などと同じく、戦勝国アメリカのものとなった。(註:大航海時代には、ローマ教皇の仲介(『ラテラノ条約』)によって、(ブラジルを除く)中南米からフィリピンまでの太平洋諸島がフィリピン領、ブラジルから東回りでインド洋諸島、インドシナ地域までがポルトガル領ということになっていた。)当時のスペイン王フェリペ2世の名を取って命名された太平洋に浮かぶこの島々(英語の名称は「The Philippines」と複数形)は、「スペインのもの」から「アメリカのもの」となった。その後、20世紀の前半のかなりの時期「日本(大日本帝国)のもの」にもなっていたが、マッカーサー元帥の有名な「I shall return」の名文句と共に、第2次大戦後は、形式上は独立国家であったが、実質的には「アメリカのもの」になっていた。そして、その民衆を苦しめる悪代官こそマルコス政権であったのである。冷戦下のアメリカは、マルコス政権の不正を知りながらも、「共産主義」という「より悪質な悪」への防波堤("中共"へ睨みを効かし、ベトナム戦争へ出撃するための巨大な"不沈空母")として、この島を利用したのである。そのためには、自分の言うことを聞く「小悪マルコス」には、寛大であった。

 ゴルバチョフの登場によって、東西冷戦がアメリカの全面勝利で終わろうとしていた時、アメリカはマルコス政権を弊履の如く捨て去った。これが、1986年のいわゆるピープル・パワーによるアキノ政権誕生である。このピープル・パワーによるマルコス長期独裁政権打倒の様子は、テレビというメディアを通して全世界に大きな影響を与えるという、仕掛けたアメリカですら計算外の副産物を生み出した。その後、3年の間に、「ベルリンの壁」が解放され、東欧の社会主義政権がドミノ倒し的に崩壊した。そのきっかけを作ったという点では、1986年の「フィリピン革命」は、世界史的意味を持っている。


▼女帝:アジアにおける安定装置



大統領の辞職を求める
フィリピンの民衆
 私は、戦前の日本の軍事帝国主義、そして戦後の日本の経済帝国主義支配がいかに稚拙なものであったかということをフィリピンという国のことを考えるとき、いつも頭によぎる。歴史上、フィリピンの島々を支配したスペイン・アメリカ・日本のうち、スペインはフィリピン人に名前と宗教を与えた。マルコス、アキノ、ラモス、エストラダ等々、フィリピン人は名前だけを聞けばスペイン人と変わらない。宗教も90%がカトリック教徒である。アメリカは英語と議会制民主主義(共和制)を彼らに与えた。大統領、上院・下院議員等々、アメリカと同じ名称である。しかるに、この島々をかなりの長期間にわたって"支配"した日本は、この国の人々にいかなる影響を与えることができたのか? ことの善し悪しは別として、相当な努力をしたであろうに、何もその"成果"が残ってはいないではないか…。それどころか、フィリピン人女性に日本の風俗業界に出稼ぎに来られている始末である。日本人が、いかに世界中で通用する"普遍的理念"というものを有していないかを垣間見ることができる。

 ともかく、1986年のピープル・パワーの再現ともいうべき(誰かに意図的に煽動された)大群衆が、1月20日、フィリピンのホワイトハウスであるマラカニアン宮殿へ押し掛け、抵抗らしい抵抗もせずに、エストラダ大統領が辞任、憲法の規定(大統領が欠けた場合)により、直ちにグロリア・M・アロヨ副大統領が新大統領に就任した。このアメリカの大統領交代日という、実質的な権力の空白の時期を狙って(アメリカの介入を防ぐ意味があるやなしや?)、フィリピン政権の交代が行われたことの意味はいずれ明らかになる日が来るかと思う。私は、1999年6月に、『女帝:アジアにおける安定装置』において、国家が混乱に陥った場合(たいていは長期独裁政権が崩壊した直後)に、アジア的安定志向が機能して、国家の創業者の娘が国民和解のシンボルに祭り上げられるケースとして、パキスタン・インド・バングラデシュ・スリランカ・インドネシア・ミャンマー等の例を挙げて解説したことがある。今回のアロヨ大統領も、マルコス長期独裁政権の前、1961年から65年まで政権を担っていた故マカパガル元大統領の娘で、フィリピン国民は、アロヨ大統領自身の政治的手腕というよりは、"血のカリスマ"を期待しているのであろう。まさに"ダイナスティ(王朝)"である。


▼アメリカン・ダイナスティの誕生

  最後に、もう一度、ジョージ・W・ブッシュ大統領の就任式に着目しよう。ブッシュ新大統領は、その就任演説で「…創造主(神)が導いてくださる正義と機会を有したひとつの国のために…。…われわれ(アメリカ人)を結びつけているのは、"理念"であって、地縁や血縁ではない…」と強調したが、当のブッシュ氏自身、225年に及ぶアメリカ合衆国史上2組目の「父子大統領」となった。父親はいうまでもなく、副大統領(1980〜88年)、大統領(1988〜92年)を務めた同名のジョージ・ブッシュ氏だ。祖父も上院議員を務めたテキサス州の名門だ。弟は、今回の大統領選挙のゴタゴタの原因だった"フロリダ5週間戦争"の当事者の一人であるフロリダ州知事を務めている政治家一家である。これまで、アメリカのダイナスティといえば、マサチューセッツ州の「ケネディ家」を誰もが思い浮かべたであろう。しかし、今回の選挙でブッシュ家は、昨年の飛行機事故で跡継ぎを失ったケネディ家を完全に越えた。新たな"ダイナスティ"の誕生だ。「ようもようも開票集計作業を巡るゴタゴタが発生したのが、弟が州知事を務めるフロリダ州であったことよ」とブッシュ家の人々は神に感謝しているであろう。

  しかし、よく考えてみれば、今回、たとえアル・ゴア氏が大統領選に勝っていたとしても、同氏の父も全米に高速道路(ハイウエイ)網を張り巡らせた功績(同氏は、今日のIT社会の基礎になる社会資本「スーパー情報ハイウエイ」政策を実施したが)の大きな上院議員として知られているので、ゴア氏自身「二代目」上院議員(副大統領は上院議長を兼務)であった。アメリカの公職の世襲化が急速に進んでいると言える。そういえば、8年間住み慣れたホワイトハウスを去るビル・クリントン大統領に代わって、今度は「前ファーストレディ」のヒラリー・クリントン夫人が上院議員として連邦議会に参戦し、しかも、将来の大統領選出馬を見越して、田舎のアーカンソー州(大統領選挙人の数が少ない)などではなく、全米の1・2位をカリフォルニア州と競うニューヨーク州から立候補して当選した。これも、新たなダイナスティ確立を狙っているのだろうか?



 政権の初仕事は、閣僚うち揃ってグラハム牧師のワシントン大聖堂へ参拝 

 今回の大統領就任式で、私が最も驚いたのは、"大統領の牧師"として著名なビリー・グラハム牧師(過去数代の大統領の就任式でいつも「祈祷」を担当していた)の子息フランクリン・グラハム牧師が、連邦議事堂前での就任式の"国家牧師"の職を"世襲"していたことである。フランクリン・グラハム牧師の登用は制度的に保証されたものではないので、"世襲"大統領に対する演出と言ってしまえば、それまでのことであるが、アメリカ合衆国の"国体"を三位一体で支えている「宗教性」・「共和制」・「連邦制」の一角が揺らぎつつあることを覚えずにはいられなかった。これからのこの国の行く末がどうなるか楽しみである。


戻る