そして、バベルの塔は崩壊した 
01年9月12日

レルネット主幹 三宅善信

▼阿鼻叫喚の世界貿易センタービル

 2001年9月11日、国連総会開会式の恒例行事である「平和の鐘(日本が寄贈した)」突かれようとしているまさにその時、同じニューヨークの国連本部からわずか数kmしか離れていないマンハッタン島最南端で、アメリカの経済的繁栄のシンボルとも言えるWTC(世界貿易センター)ビルが、そしてその直後に、数百km離れた首都ワシントンD.C.(厳密には、ポトマック川の対岸にあるので、バージニア州)において、アメリカの軍事的世界支配の象徴ともいえるペンタゴン(国防総省)が、イスラム教原理主義勢力と見られるテロリストによる同時多発テロ攻撃を受け、数千名の死者を出す史上最悪のテロ事件となった。レルネットでは、これまで、当『主幹の主観』シリーズで、何度もイスラム原理主義や、あるいはその反感を買っている宗教国家アメリカについて述べてきたが、今回の事件を受けて、この問題をさらに取り上げないわけにはいくまい。



炎上する世界貿易センタービル

 実は、前々から一度『ジグラットの物語』を書かなければなるんまいと思っていた。しかし、現代資本主義文明の目に見える"バベルの塔"ともいえるマンハッタンに林立する摩天楼(skyscraperは「空を掴む」の意)群の中でも、ひときわ高く、辺りを睥睨(へいげい)しているWTCのツインタワーが、よもやこんな形で崩壊してしまうとは、世界中の人が思いもしなかったであろう。しかし、このことを予感させるデジャブ的な映画を、ほんの3カ月ほど前に観た。手塚治虫の初期の作品を全編CG技術を駆使して映画化された『メトロポリス』である。そのラストシーンで、メトロポリスの物質的繁栄のシンボルであり、その頂を雲上まで届かせているジグラット(超々高層ビル)が、レイ・チャールズの哀愁に満ちたジャズ音楽をBGMにして、壮大に崩れていく場面があったが、そのシーンを思わず想起してしまった。キングコングですら「大木に蝉」のように見えたあのツインタワーが、2棟とも、見事と言う他ないような崩れ方をしたのである。しかも、こちらは現実の世界の話である。



崩壊する世界貿易センタービル

 ビルの爆破解体そのものは、これまで何度となくテレビの映像などを通して見てきた。周りの建物に迷惑をほとんどかけずに、なおかつ、騒音・振動等が多い、解体工事期間を短縮するという大義名分のために、都市の中心部において、大規模な建造物が専門のビル爆破業者の手によって、つぎつぎと爆破解体されるシーンを読者の皆さんも、きっと思い出されていたであろう。高さ420メートルもあるツインビルが、横に倒れることもなく(もし倒れていたら、もっと大惨事になっていた)真っ直ぐに崩壊していった。そして、辺りにもうもうと立ち込める砂埃…。TV映像だけ見ていると、まるで、ビルの爆破解体工事と同じであるが、実際には、あの中に万に及ばんとする人間がいたのである。飛行機の衝突を受けてから、ビルが崩壊するまでに、それぞれ1時間45分程度と、45分間程度という時間差があったので、何千人かの人は無事、逃げおおせることができたと思うが、それにしても、逃げ惑う人々でごったがえす非常用の螺旋階段を仮に1分間に1フロアづつ降りていったとしても、60階から出口まで到達するのに1時間かかる。90階からだと1時間半かかる。110階建ての超々高層ビルのことである。多くの人が脱出の途中で、ビルもろともに崩れた。もし、そこに居合わせていたら、まさに阿鼻叫喚地獄であったと思う。


▼よく利用したボストン→ニューヨーク便

 レルネットの関係者にも、身内があの崩壊した貿易センタービルで働いていた者もいたので、昨晩は徹夜で身元の確認作業に追われた。まさに、TVの画面で何度も見せつけられた航空機が突っ込んだ、80階の最も多くの犠牲者を出した日本の金融機関に勤めていたからである。しかし、バブル経済の絶頂期と比べて、多くの日本企業が既に米国から撤退を余儀なくされた後の出来事だったので、日本のことだけを言うと、その点では不幸中の幸いと言える。私がHarvard大学にいた1984〜85年の頃は、日の出の勢いの日本経済であったので、多くの日本企業がマンハッタンに進出するどころか、アメリカのシンボル的な超高層ビルを買いまくっていた。私も、ボストンからニューヨークまで格安の週末チケットを使って、何度も遊びに行ったことがあった。

 当時は、レーガン政権の2期目に突入した頃で、deregulationいわゆる民間活力の導入のための規制緩和ということで、他業種から進出した多くの航空会社が雨後の筍のように林立し(Peoples Expressといった共産主義みたいなネーミングの航空会社があった)、週末の格安料金など、ボストン←→ニューヨーク間の往復料金が、たった29ドルといった信じられないような料金だったということを覚えている。そして、今回の乗っ取られ、WTCビルに自爆テロを決行したアメリカン航空機・ユナイテッド航空便が飛んだコースと同じ、ボストンのローガン空港から出て、ニューヨークに隣接するニュージャージー州にあるニューアーク空港に向う便に、よく乗ったものである。

 ニューヨークというと、日本では一般的に、国際線のJFK(ケネディ)空港と国内線のラ・ガーディア空港が知られるが、成田並みに遠いJFKは論外としても、ラ・ガーディア空港にしても、マンハッタンからそこそこの距離(新庄選手が所属するNYメッツの本拠地シェア球場のすぐ傍)である。わずか29ドルの格安航空券で行って、空港から市内までの交通費がその半分ぐらいかかってしまうのはばかげているので、多くの場合、隣の州ではあるが、最もマンハッタン(ダウンタウン)に近いニューアーク空港を利用した。このニューアーク空港に到着する便は、ハドソン川に沿ってマンハッタンの超高層ビル街のすぐ横を飛ぶので、夜景がとても綺麗だったことを覚えている。たぶん、今回の自爆テロを結構した連中も、このコースを飛んだ時に「ここでちょっと操縦桿を倒せば…」と、イメージトレーニングをしたに違いあるまい。

▼その時、日本政府は何をした?

 危機管理についての日本政府のお粗末な対応が、今回もまた露呈された。官邸の対策室に集合する小泉総理大臣以下関係閣僚の姿がTVニュースの画面に写し出され、狭い部屋にたくさん入って何をしているか分らないような写真が映っていたが、そこで彼らが見ていたのは、なんとテレビのニュースの画面である。こんなもの、それぞれの家の茶の間に居ても見られる。一般のメディアで放送されるよりも先に情報を得てこそ、一国の危機管理と言えるのに、重要閣僚がすべて集まってテレビのニュース画面から情報を得ているなんて、笑わされる。もし、これが日本の周辺有事という事態だったら、ご親切にも敵国に「千代田区永田町2-3-1の総理官邸に日本政府首脳が結集してますから、ここに巡行ミサイル打ち込んで下さい」と教えているようなものである。防衛庁の幹部へのインタビューに対して、「ペンタゴンと電話が通じなくなりましたので、(どうなっているか)判りません」だって…。笑わせるにもほどがある。一旦、有事となれば、敵のスパイは真っ先に通信回線を切断しにくるに決まっている。読者の皆さんにサービスで官邸の電話番号を教えて上げよう。03-3581-0101だ。私が知っているくらいだから、第三国のスパイはみんな知っている。

 しかも、小泉首相の本件に関する公式会見は、事件発生後12時間も経ってから行われるという間の抜けようであった。"血の同盟"といわれる英国政府の瞬時のレスポンスとまではいかなくとも、せめてロシアや中国よりは先にして欲しいものだ。私と違う場所でTVを視ていた今年小学校6年生になる愚息が、3分割された現地からの中継画面の左下に、一瞬だけ映ったどこかの飛行場の誘導路を移動中のAir Force One(大統領特別機)を目ざとく見つけて、「ブッシュ大統領はあれに乗って、上空から指揮をするんやな。ホワイトハウスとかにおったら、敵の攻撃を受ける可能性があるからな」と、なかなか的確なことを電話で言ってきた。しかし、どの放送局のアナウンサーも、原稿を読むのに精一杯で、画面にほんの数秒間写ったAir Force Oneが離陸体勢に入っていることに触れた人はひとりもいなかった。小学生以下である。もっとも、政府の首脳が皆、あの安物の(核攻撃にも耐えられる設備を供えているかという意味で)首相官邸に集まっている。日米間の危機管理に対する意識のえらい違いである。

 実は8月末に、アイヌ歴史・宗教・文化の研究をするために、私は北海道を訪れていたが、北海道の空の表玄関である新千歳空港に行って、愕然とした。尾翼に日の丸のマークが付いた、いわゆる政府専用機(天皇陛下や政府要人、あるいは災害救援チームが乗るための国営のジャンボ機)が、なんと千歳空港の隅っこに置かれてあるのである。「どういうことですか?」と地元の人に聞くと、「政府専用機はいつも千歳空港に留まってますよ」ということらしい。なんと、羽田では(普段は飛ばない飛行機のための)駐機場のスペースがないし、また駐機するための費用もかさむというので、日頃は千歳空港の自衛隊共用部分に係留されているそうである。こんなもの、もし緊急事態が起きたら、間に合わないじゃないか。事実、今回は千歳空港から羽田空港まで特別機を移動させたそうであるが、その間に、もし東京で何かのテロが起きて、どうしようもない(要人だけでも脱出しなければならない)という事態に陥ったら、どうするつもりなのだろうか? 相変わらずの日本の危機管理である。


▼"法の裁き"とはいったい何か?

 アメリカでは、核攻撃を受けた時を想定して、これらのマニュアルがしっかり定められ、また、日頃から訓練されているのであろう。確かにあの時点(WTC突撃から約1時間後)では、同時多発テロがどこまで拡大するか判らない状態であったので、4軍の最高司令官でもある大統領が直接ホワイトハウスに帰ることには危険があったので、しばらく他所に待避していた。ブッシュ大統領が、半日経って一応の安全が確認されたホワイトハウスに戻って(ひょっとすると、ホワイトハウスの大統領執務室とそっくり同じ内装の建物が全く別の所にあり、敵の目を眩ませて、そこから放送したのかもしれない)、国民に対して合衆国大統領としての演説をした。この時は、あまりにも唐突に、ひどい攻撃を受けたにも関わらず、ブッシュ大統領にしては珍しく非常に抑制の効いたスピーチであった。



ホワイトハウスから全世界に呼びかけるGeorge Bush大統領

 しかし、大統領の演説の中で「必ず犯人を捕まえて"法の裁き"を受けさせる」と言っていたが、実は、ここに問題の根が潜んでいるのである。サッカーでも、麻雀でも、ゲームを始める前に、当事者間で必ずルールの確認を行うではないか。しかし、彼ら(イスラム教徒)は、現行の国際法のルール作成時に、「自分たちに意見を聴取された覚えはない(そんな一方的なルールに従うつもりはない)」と、言っているのである。今回の事件を起した(と目される)イスラム原理主義勢力は、このアメリカが標榜している"法"そのものの秩序を問題にしているのであるから、アメリカが信奉する"法の裁き"が、果して、そのままで成り立つかどうか(普遍妥当性があるかどうか)ということが問題なのである。



テロリストの"黒幕"と目されるOsama bin Laden 氏

 ところが、一方の当事者であるアメリカは、そのことに全く気付いていない。「自分たちのルールこそ、人類全体に普遍的な天与の法則である」と信じて疑わない。その証拠に、今回でも、アメリカの特定の施設が狙われたのに、ブッシュ大統領は「人類文明全体に対するテロだ!」と言い切った。相手が火星人なら、そのように言えるかもしれないが、イスラム原理主義者だって人間である。ということは、裏を返せば、「イスラム原理主義者は人類の内には入らない」と言っているも同然である。このことが、実は、昨年来のパレスチナの暴動にしても、中央アジアにおけるイスラム教原理主義勢力の台頭にしても、問題の原因を創っているのである。そのことを指摘する政治家や評論家やメディアが日本にひとりもいないのも、情けない限りである。勘違いしないでほしい。私は、何も今回のテロを肯定しているのでもなければ、イスラム原理主義者に賛同しているのでもない。今回の暴挙には、他の多くの人々同様、怒っている。しかし、冷戦終結後、十数年になりなんとしている間に、世界の各地で次々と発生したテロや民族紛争の根本的な原因を探ることなしに、個別の"事件"としてだけ処理していたのでは、今回のようなテロは一行に後を絶たないであろう。


▼Oh! My God!=おまえの神

 実は私は、これらのことを繰り返し繰り返し、当『主幹の主観』で述べてきた(例えば、1998年の『「正義」という「不正義」』)のである。本当にアメリカに"正義"があるのか? あるいは、アメリカに"正義"がなかったとしても、ただ単に"強者"だから、自分の意見を通している『ドラえもん』の「ジャイアン」のような存在なのか? 国際社会における日本の立場は、のび太なのか? スネ夫なのか? そこ(アメリカおよび西側諸国の立場の根拠)を問題にする人がいないのがおかしすぎる。そして、現在世界の各地で起こっている宗教・民族紛争というものの多くは、これら欧米中心、キリスト教中心の"グローバル"スタンダードに対する他の文化・宗教・伝統からの「異議申立て」ではないだろうか。イランのハタミ大統領の提唱する、そして今年の国連総会のテーマともなった『文明間の対話』ということをもっと真剣に考えなければならない。

 しかし、情けないことに、国際政治をリードするG8(主要国)の中で、明らかにユダヤ・キリスト教、欧米文化とは異なる歴史的・文化的・宗教的背景を持っている唯一の国であるわが日本政府が、いつも金魚の糞のようにアメリカの尻に付いてゆき、今回の小泉首相のスピーチでも「手伝えることがあったら、なんでもするから言ってほしい」などいう、バカな発言をしてしまうのである。自然災害に襲われた途上国じゃあるまいし、超大国アメリカにとって日本の助けなんていらないに決まっているじゃないか。そんなええ格好して、もし、アメリカに「われわれと一緒になって、多国籍軍を形成してタリバンを攻撃してくれ」と言われたら、日本は攻撃に行くのか? それとも、「集団的自衛権の発動には憲法上の制約があるので、これでご勘弁を」と言って、また、湾岸戦争の時のように国民の血税を米軍に献上するのか…。出来もしないことを言うものではない。このアメリカの独善的正義…。なにも私はテロリストによる破壊活動を肯定しようなどとは毛頭思っていないが、テロリストたちの狂信的な論理と同じぐらい論理的根拠のない"正義"を、実はアメリカが説いているということを、よく知る必要がある。

 アメリカ人の宗教意識についての判りやすい例をひとつ挙げよう。今回の貿易センタービルへの旅客機による自爆テロは、十数分の間隔をおいて2度にわたって行われたので、1度目の爆発(「衝突事故かもしれない」と思って報道していた)が起きてから、多くのテレビ映像がWTCビルを映しているところへ、2度目の航空機の突入(報道も、偶発的事故ではなく、テロを確信した)があったので、事故・事件報道には珍しく、まさにその決定的瞬間のシーンが非常にはっきりと映し出されていた。この時に私が気になったのが、画像を撮っているプロのカメラマンが、航空機が突っ込んだ瞬間に、思わず「Oh! My God!」や「Jesus Christ!」(「なんじゃこりゃ!」の意)などと、カメラのファインダーを通して、現実に目の前に起こっていることの壮絶さに、思わず声を挙げているということである。しかし、ここで挙げている声は、「Allah akbar(神は偉大なり)」でもなければ「南無阿弥陀仏」でもない、「Oh! My God!」や「Jesus Christ!」なのである。彼ら自身が気付いているか気付いていないか判らないが、ここに登場する「God」は、あくまでも彼らの「My God」なのであって、彼らが「My God」と言うときの「God」と、神風攻撃をしたテロリストの信仰する「Allah (神)」とは違うということが判っていないのである。

▼宗教国家アメリカ

 アメリカ大統領はスピーチの最後に、必ず「God Bless America(アメリカに神の祝福を)」と言うが、この「God」を信じていない人(アメリカ人にも仏教徒はいる)はどうすればいいのだ。ということに対する認識が決定的に欠けているということが、実は問題なのである。世間でよく「イスラム原理主義」という言葉が使われるが、あるいはニュースなどでも、「熱狂的なイスラム教徒」や「狂信的なイスラム教徒」というような表現がよく使われるが、何も原理主義はイスラム教徒に限ったことではない。熱狂的な仏教徒もあれば、熱狂的なキリスト教徒もあるのである。その辺の原理主義の経緯については、同志社大学神学部長の森孝一氏の『宗教対話の課題と展望』が詳しいので、それを読んでいただきたい。

 アメリカは、実は、極めて宗教的な国家である。アメリカのキリスト教は原理主義と言っても過言ではない。「あなたは神の存在を信じますか?」という世論調査に対して、アメリカではいつも90%以上の国民が「Yes」と答えている。しかも、形だけのクリスチャンではなく、「毎日曜日、必ず教会へ行く」と答える人が、全国民の3分の2もいるのである。これなど、欧州各国(キリスト教国)と比べても、格段に宗教に関して熱心な国と言ってよい。以前にも述べたが、1ドル紙幣を見れば、「In God We Trust」と書いてある。そして、大統領の演説は必ず最後に「God Bless America」で終る。以前『主幹の主観』シリーズの『宗教右派:大統領選挙に見るアメリカ人の宗教意識』で述べたように、アメリカはキリスト教原理主義国家なのである。今だに、公立学校の教育でダーウィンの『進化論(進化の仮説)』の代わりに、「神による『創造説』を教えろ」と、教育委員会でまことしやかに論議している国である。しかも、そのことに対して裁判所が違憲だとか合憲だとかいう判例が繰り返されている。進化論と創造説とは、全然別の次元の話であることは言うまでもない。一方は科学的な話であり、もう一方は宗教的、あるいは文学的な話である。比較すること自体が間違っている。しかし、この両者が同じ次元で議論される国が、実はアメリカ合衆国という国である。

 日本人は、西アジア(「中東」という表現は、欧州中心主義の世界認識)のいくつかのイスラム教国は原理主義国家だと思っているが、アメリカもかなり原理主義的宗教国家であるということをまったく理解していない。そこが問題なのである。アメリカはわれわれと同じような科学主義を信奉する民主的先進国で、われわれと同じような基準で行動していると皆が思っている。しかし、それはとんでもない間違いである。他のイギリスやドイツ、フランスと比べても大きく違う。


▼2つの原理主義勢力が衝突するのは当然

 この世の中に2つの原理主義勢力が同時に存在していたとしたら、この2つが真正面からぶつかり合うのは、当然のことである。自らの正当性の証明は、客観的(科学的・論理的)証明ではなく、ア・プリオリなものとして自らの正当性を主張する限り、2つの異なった正当性が存在した場合、自らの正当性を証明するためには、相手を打ち倒す以外に方法はない。このことの論理的な矛盾について、かつて『「正義」という「不正義」』で詳しく論じた。もちろん、誰にも欲はある。私は人間の欲望を否定するようなことは言わない。むしろ、欲望を肯定すらしている。しかし、問題はその欲望をどのように正当化するかということである。この正当化を高める装置に、宗教というものが使われることに、私は厳しく反対しているのである。

 結論から言うと、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という同じ根を持った、いわゆる「アブラハムの宗教」――これらの一神教が人類に大きな災いをもたらしているのである。世界中に数多の文明があり、数多の宗教があるが、多くの多神教では、自らの欲望を主張する時に、「絶対的な真理」といったものを持ち出してしたりはしない。欲望を肯定してはいるが、そのことには、自ずから自己抑制というものがかかっている。何故なら、多神教という相対的な神(価値観)を前提にしていると認めている以上、絶対的な正義など初めから主張できないことは判っているからである。それ故、対立する他者を攻撃する時にも、自己抑制(絶対的確信のなさ)というものが働くのである。しかし、このアブラハムの宗教は、唯一絶対の神を奉じ、なおかつ他のものを拝することを認めないという狭隘な性格を持っているが故に、相手を全て殺し尽くすまで、永遠に闘い続けなくてはならない運命なのである。


▼意志疎通をできなくしたのは神の仕業

 アブラハムの宗教共通の聖典とされている『旧約(聖書)』に、興味深い話がある。アダムとイブに始まって、ドンドンと数を殖やしていった人類は、その物質的な繁栄も極めていくのである。有名な「ノアの方舟」の話(『創世記』の第6章〜10章)に続いて、第11章の前半に、明らかに後から挿入したと思われる短いエピソードが記述されている。一部を抜粋すると、『…「さあ、町と塔を建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれ(人)は名(シェム)を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。時にヤハウェ(主)は下って、人の子たちの建てる町と塔を見て、言われた。「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれ(主)は下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」。こうしてヤハウェ(主)が彼ら(人)をそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。ヤハウェ(主)がそこで全地の言葉を乱されたからである』と…。



バベルの塔

 古代メソポタミアの人類最初の都市国家において、神を祀るための神殿として盛んにジグラットが建てられたという歴史的事実を『創世記』の作者(モーゼ?)が採り入れたのである。メソポタミアの人々は、神の栄光を称えるために、天にまで届くようなジグラットを建てようとするのである。しかし、『創世記』においては、この物語は意外な結末を持って閉じる。神はこの営みを止めようとするのである。しかも、この人間が造った天まで届く塔の建設を直接的に妨害するのではなく、まったく意外な方法で妨害するのである。天まで届く塔を造るためには、当時のことであるから、現在の高層ビルのような垂直のビルを建てることは技術的に不可能なので、エジプトのピラミッドのような構造物を想像していただいたらよいのであるが、高さを無限大にするためには、底辺の長さを無限大にしなければならない、ということになってしまう。そこで、人々は巨大な塔を建てるために、底辺の長さをドンドンと広げていくのである。



ジグラット復元図

 そうして何が起こったかというと、塔を建てるための工事をしていた人々同士が、あまりに距離が離れ過ぎてしまって、それまで人類はひとつの言葉であったのが、工事をしている人同士の言葉が通じなくなってしまう(という、いわゆる原因譚、すなわち、人類がなぜ多くの言語を持っているかということの説明)。そして、人々同士の意思疎通ができなくなって大いなる混乱が生じた。その混乱によって、結局、天にまで届くジグラットの建設は頓挫するのである。そして、それ故、その塔の名前はヘブル語(ユダヤ人の言語)で、混乱を意味する「バベル」と人から呼ばれたという話があるのである。今回の、いわば現代物質文明の象徴とも言える世界貿易センタービルが、崩壊していくシーンを見て、なぜかバベルの塔が崩れるシーンを思い起こしてしまった。そう、彼らアブラハムの宗教の教えの中には、こういう文句もあったはずである。すなわち、「目には目を。歯には歯を」と…。


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