★2002年 下半期掲示板掲載分

■9.11は映画世界まで変えてしまった   
     02年07月01日
         萬 遜樹

 『9.11がスター・ウォーズに与えた影響』は、お馴染みとなった主幹十八番の映画論評ものでした。どこかのへたな映画解説をもはや越えていますね。

 おっしゃる通り、「9.11」は映画世界まで変えてしまったのでしょう。ただし、「9.11」をどちらの側からながめているのか、つまりアメリカ側からか、あるいは別側からかは、今後ともよく注意していくことが大切ですね。



■内集団と外集団に対する我々の異なる認知様式
 02年07月02日
  三阪和弘 (神戸大学大学院国際協力研究科)
 『関西弁って何?』へのコメントです。

 三宅氏も私も関西出身のため、関西地方の言葉の違いには比較的敏感に反応することができる。では、我々関西人(ここではあえてこう呼ぼう)は、東北地方のなまりの違いを明確に識別することができるだろうか。また、同様に九州地方のなまりや四国地方のなまりを識別することができるだろうか。

 さらに話を一気に広げるならば、アフリカの多様な民族の顔形や言葉の違いを感じることができるだろうか。いや、おそらく日本人であり、関西人である我々にとって、上記の例の差異を敏感に感じ取ることは困難であろう。

 おそらくアフリカ人(この括りも大きいが)は、我々日本人よりもアフリカ人同士の違いを識別できるだろうし、東北人は東北人の、九州人は九州人の違いを、他の地域の人々よりも細かく識別することができるだろう。

 認知社会心理学の知見によると、我々は人を認知する場合、カテゴリー化して捉える傾向があるらしい。具体例を示すと、前述のような関西人といった地域性や性別(男らしさ、女らしさ)、職業(弁護士、医者、宗教家、サラリーマンなどのイメージ)などが挙げられるだろう。

 このカテゴリー化の基準として、池田・村田(1991)は、自分を含む集団=内集団と、含まない集団=外集団という分類を行なっている。そして、この内集団と外集団に対して我々が異なる認知様式を発達させたことが、内集団に対しては多様性を認識し、外集団に対しては多様性を認識できなくしてきたと指摘しているのである。(一般に無宗教の日本人はオウム真理教の影響もあって、宗教を全体として悪と捉える傾向が見られる。

 しかし、内集団に属している者からすれば宗教と言っても多様であり、すべてをオウムと関連して捉えられることは大迷惑な話である。おそらく三宅様はそのような思いもあってこのホームページを立ち上げられたのでしょう。)

 この池田・村田(1991)の説明は見事である。彼らの説明を活用すれば、前述の例すべてが説明可能であることがわかる。すなわち、東京人による関西人という呼び方も、アフリカ人の識別もすべてである。

 以上のようなことを理解していくと、我々関西人は、何も東京人が関西人を一括りにすることに違和感を覚える必要がなくなるのかもしれない。「ああ彼らは外集団の者だから仕方ない」くらいに思えれば、変な対抗心も対立心もなくなり、ひとつの心理現象として捉えることができるようになると思うのだが、いかがなものだろうか。


  参考文献:池田謙一・村田光二(1991)『こころと社会 認知社会心理学への招待』東京大学出版会



■ODAと円借款について
02年07月09日
  三阪和弘 (神戸大学大学院国際協力研究科)

 さて、今回は『チャイナスクールはメダカの学校?』の中に出てきたODAと円借款の扱いについて取上げたいと思います。

 三宅様は以下の内容をご存知かもしれませんが、とりあえずご確認下さい。


1.ODAの定義

 @中央および地方政府を含む公共部門ないしその実施機関により、発展途上国および国際機関に供与されるものであること。

 A発展途上国の経済・社会開発に寄与することを主たる目的とするものであること。

 Bグラント・エレメント(GE)が25%以上であること。

(注)GEとは、通常の民間銀行からの融資と比較して、貸付条件が借り手である途上国にとってどれくらい優遇されたものであるかを表す指標のことである。贈与の場合は、GEは100%である。GEを規定するのは、市場金利と比較してどのくらいそのローンの金利が安いか、据置期間がどれくらいの長さか、償還期間はどれくらいの長さなのかといったローンの諸条件によって決まってくる。


2.発展途上国に対する資金の流れ

 @ODA(Official Development Assistance)

 AOOF(Other Official Flows)

 BPF(Private Flows)

 CNGOによる贈与

 @とAの差異は、@が前述1.の定義に該当するもので、Aがそれ以外の政府資金ということになる。Bは民間営利資金である。


3.ODAの分類

ODA-------二国間援助------贈与--------無償資金協力
     |             |        |
     |             |         ----技術協力
     |             | 
     |             ----------------政府間貸付(円借款)
     |
     -----国際機関を通じる援助--------贈与
                         |
                         ----出資など
                         |
                         ----貸付

 この図を見ると、無償資金協力、技術協力は返済義務がないのに対し、政府間貸付は返済義務のあることがわかる。日本の場合、政府間貸付のことを円で貸すローンのため、円借款と呼んでいる。


4.実施機関

 前述の図で言うと、無償資金協力、技術協力の実施機関がJICAであり、円借款の実施機関が国際協力銀行である。


 最後に、今回上記の内容を取上げた趣旨を述べます。

 三宅様の「チャイナスクール・・・」の本文を見ると、ODAと円借款の扱いに混乱が見られました。具体的に言うと、ODAと円借款が併記されていたということです。

 前述の図及び説明をご覧頂くとお分かりになるように、本来円借款とは、ODAの一部を指す概念です。したがって、ODAと円借款を併記することは好ましくないことになります。

 細かい話ですが、一応そのようになっているので、ご理解頂けると幸いです。


 ODAについては、@ODA白書、A小浜裕久(1992)『ODAの経済学』日本評論社、B西垣・下村(1993)『開発援助の経済学』有ひ閣、等が詳しく説明しています。ABは現在第2版が出版されています。

 ちなみに、今回の説明はAを基に作成しました。ODAについての批判本は多数出版されていますが、今回は省略させて頂きます



■メディアが作り上げてしまう判断基準 
02年07月18日
   居眠り狂四郎

 最近考えていたことでもあり、『賞味期限って誰が決めた』おおいに参考になりました。賞味期限が生産者のためのものであるというご見解は、ズバリその通りだと思います。最近では、消費期限なるものもできて、またしても消費者が振り回されている状態ですから。

 ラベル偽装騒動によって、ラベルへの信頼性がなくなった今、そこに表示されている賞味期限や消費期限に対する疑問も、「期限」神話の崇拝者であった消費者の間に広がりつつあると思いますが、しかしメディアの焦点が、品質表示偽装の追及であることから、期限表示に対しては疑問視しない、もしくは疑問をうやむやにさせてしまう方も多いようです。

 このことは、消費者が自身で判断すべきものに対して、メディアがその判断基準を作り上げてしまう、すなわち、消費者はメディアが提示する標識をそのまま信じて動いていく…という、ある種のもの悲しさをあらわしています。

 それは、御論でも取り上げていらっしゃいますが、政治に関しても同様のことで、メディアを利用できる者が、生き残ることができるという、国民の利害とはまったく関係ないところで政治が行われていく現実を示唆しているように思えます。

 と、このように、賞味期限という身近なテーマから現代社会を見直すことのできる今回の視点は、大変、面白いですね。

 氾濫する情報からいかに真実を見つけるか、という現代ならではの視点ではないだろうかと、インターネットを扱う身としては、なかなか奥深いテーマだと感じました。

 片仮名表記に関するご見解も、なるほど納得ですね。



■厄介なものは、眼前から取り去ってしまえば、それで解決?
 02年07月19日
居眠り狂四郎

 
 『速佐須良比賣(はやさすらひめ)のお仕事』を読んで、「自分の目の前から見えなくなってしまえばそれでいい」という考えは、問題の根本的解決ではないというのは、なるほど、その通りだと思います。

  これは、神道独特の考えであり、さらに日本人の根本的思想です。罪は祓い、穢れは流せば消えるという独特の考え方は、日本における宗教のあり方を示していると思います。

  アメリカでテロ事件が起きた時、その後の厄介な問題に対して日本に仲裁役を求める声が大きかったのも、日本人のこのような特質(思想)が関係するのでしょう。

  と、ここまで書くと、日本人のこのような精神構造が美徳とされるように思えますが、一方で、それが弊害を生むという重要な視点を、今回の後論では指摘されていると思います。

  現代社会に向けられた視点に関しては、相変わらず、見事ですね。

  時代とともに物事が変化していくのは当然で、それに対応していかなければならないのです。問題があまりにも山積みにされすぎては、さすがの速佐須良比賣もお手上げでしょうし。

  毎回、視点の鋭さに、考えさせられます。お忙しいでしょうが、次の作品も期待しています。



■「自由と正義の国」を名乗ること自体、大きな矛盾  
 02年07月20日
   塩谷崇之(弁護士)

 アメリカ合衆国における「忠誠の誓い違憲判決」についての論稿。貴兄に全く同感であります。

 「忠誠の誓い」が合衆国憲法の政教分離条項に反するという判決について、法律家としては至極当然のものと受け止めておりますが、これを批判するアメリカ世論には私もビックリしました。憲法は、かのアメリカにおいてすら、時の世論と権力に潰され、死文化してしまっているということでしょうか。

 アメリカという国は、建国の精神を誇りとし、これを心の支えとして発展し、今日の地位を築き上げました。その建国の誇り高き精神が忘れ去られてしまえば、この国の存在価値は半ば失われたも同然でしょう。

 「神の下にひとつになった自由と正義の国」という理念を、現実の国家において実現するには、絶妙なバランスが必要です。

 現実に様々な宗教・宗派の人が国内に存在するにもかかわらず、国民が『神の下にひとつ』になるためには、国民相互間に、あるいは国家と国民の間に、お互いが信奉する「神」を尊重する精神が必要です。そのような相互尊重の精神、寛容の精神があってはじめて、この国は『自由と正義の国』となることができるのです。

 特定の「神」のみを強調し、他の「神」を切り捨ててしまえば、特定の「神」を奉ずる人々の結束は固くなるでしょう。「神の下にひとつ」になるためには最も近道です。ひとつの「民族」のみを強調し、他の「民族」を切り捨てることによって、民族の結束を固めようとしたナチスドイツと同じ手法です。

 が、この手法によれば、切り捨てられた「神」を奉じる人々はこの社会に属する意味を失うことになります。彼らアメリカ人のご先祖様らが身をもって経験したことです。そして、そのような手法に対するアンチテーゼとして、アメリカ人の「自由と正義」があったはずです。

 他の「神」を排除することによってひとつに結束しようとしている国が、『自由と正義の国』を名乗ること自体に大きな矛盾があるのだと思います。

 結局のところ、自らが旗印として掲げる「自由」や「正義」が紛い物であることに国民が気づきはじめたいま、建国後200年かかって築き上げた自らの地位を正当化し、国としてのまとまりを維持してゆくためには、「神」の威を借りざるを得ないのでしょう。

 が、国政において「神」を前面に持ち出せば持ち出すほど、「神」の言葉を操る人にとっての「正義」だけが実現され、その他の人々は、神の言葉に逆らう「自由」を奪われる結果、「正義」はどんどん後退してゆきます。

 彼らもまた「神聖ローマ帝国」と同じ道を歩むのでしょうか・・・。



■自負心はどこへ?  
  02年08月06日
   平田たかあき(政治家)
 ご承知のとおり、今日は57年目の原爆の日です。また、この月は先の第二次世界大戦のことが放送され、改めてその悲惨さを思い起こされます。

 その先の大戦以降、「日本国民は自負心を失った」と発言している韓国人がいます。ご存知の方も多くいらっしゃるでしょうがご紹介します。

 『親日派のための弁明』という本を韓国で発刊し、検察捜査など当局による発禁に近い圧力を加えられ出国停止となっているキム・ワンソプ氏が産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘氏の「あなたは現在の日本に対してもどかしいと書いていますが」とのインタビューに答えたものです。

 「昨年夏、韓国のテレビのドキュメンタリーを見て、日本に自虐史観というのが存在するのを知った。日本は明治維新以降、多くの偉業をなしとげ、日本だけでなく人類の歴史にも多大な貢献をした国だ。このような輝かしい歴史を持つ日本が一度戦争に負けたため自分たちの歴史に自負心が持てず、自らを虐げているのは悲しいことである。

 現在の日本の問題は謝罪と反省が足りないということにあるのではなく、過去に対する清算があまりにも行き過ぎたことにある。日本サイドの謝罪と反省の繰り返しが韓国側の歪曲を増幅させ固定化させている面もある。

 日本が堂々たる自主独立国家になるためには、何よりも歴史に対する自負心を回復させることだ。」と言っております。

 あなたはどう受け止めるでしょうか。



■現代日本社会の虚妄を証明する事件   
   02年08月12日
  萬 遜樹

 『クスリのリスク』拝読しました。タイトルも回文になっているし、いつもながらよく出来たエッセイですね。

 おっしゃる通り、この問題(中国製痩せ薬による健康被害)は現代問題です。現代「中国」を前提にした中国国家論、現代欧米先進国人の体型をモデルにした美人スタイル論、現代似非健康主義に基づく健康食品論。

 現代日本社会は虚妄の上に建つ砂上の楼閣であることを証明する事件です。供給・需要の双方とも、トリックである「錬金術」を信仰していたということには変わりありません。ただ供給側の商業主義が、需要側の美人・不老長寿信仰に優っていたのでしょう。

 「健康」や「痩せ」など、「言葉」とは恐ろしいものです。まあ、言葉に騙されるのが人間という動物の業というものでしょうが。



■自己責任を
   02年08月15日
 平田たかあき(政治家)

 雪印食品に続き日本食品。またまた業界最大手の日本ハムと国の国産牛肉買い上げ事業を悪用した事件が連日、新聞紙上やテレビを賑わしておりますが本当に腹立たしいのは罪悪感をもっているのかという思いです。中国野菜の農薬問題、ダイエット食品も然るです。

 そう言えば、あのテレビ東京事件も、ただ報道のみを重視したもので視聴者を欺くものであったとしか思えません。 マスコミも他の事件では執拗に責任を追及するが自らの身内に対しては甘いのか、テレビ東京の企業倫理には触れません。

 今日の日経新聞「春秋」の一節に、気がつけば日本人は飢えも渇きも忘れ去り、危機感なく緩慢なる衰退にただ身を任せているようにみえると書かれてあります。

 社会が混迷する中今こそ、みんなが何に対しても自己責任を自覚しなければならないのではないでしょうか。



■成果を先にではなく、成果を得るための行動を起こすことに意義がある
  02年08月31日
 平田たかあき(政治家)

 昨日、小泉総理の訪朝が衝撃的なニュースとして報道されましたが、それを受けて今日の朝刊はどの新聞もこの記事が一面に掲載されてあります。

 この訪朝で国民の期待することは拉致問題が一番であることはいうもでもありません。

 また不審船事件、テポドン発射事件、核の開発、配備、輸出の自制、査察の受け入れ等、解決しなければならない懸案が多くあります。

 今回の小泉総理と金正日総書記との会談が新たな一歩を踏み出すことを祈りたいと思います。

 さて、産経新聞はこの訪朝に関して成算は不透明、危険な賭けとの見出しで、拉致問題の進展を前提とする国交正常化に道筋をつけられれば、北東アジアの安定につながり、国際社会に向けて日本のイニシアチブを発揮できるとの計算がある。しかし拉致問題や不審船、ミサイル開発など多くの懸案を抱えるなか成果は不透明。訪朝が英断となるか暴走となるか、首相にとって政治的な賭けとなる。と書いております。

 また「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」は北朝鮮に拉致された十一人の即時解放が実現できないのであれば訪朝を取りやめるべきだとの見解を示していますが、私は勿論、拉致されたかたの家族に心情を察すると当然のことながらの見解と思いますが成果を先にではなく成果を得る為の行動を起こすことに意義があるものとの思いです。

 その意味では戦後清算を主張するであろう金正日総書記のしたたかな外交に対して拉致問題はわが国が被害者であり、八尾恵さんの著書「謝罪します」に書かれてある有本恵子さん誘拐がよど号グループの犯罪としても北朝鮮側は知らないでは済まされないものでしょう。この問題には毅然とした態度を示すべきであり、たとえ平沢勝栄議員や被害者家族の一緒に連れて帰ってきて欲しいとの願いが叶わぬとも必ず解決できる交渉をしなければならないと思います。決して支援策の約束やお願い外交で終わることの無い様祈るばかりです。



■米国の政権の支持基盤が環境保護を推進する市民の手に移るように
02年09月07日
三阪和弘 (神戸大学大学院国際協力研究科)

 米国には、毎年「地球白書」を出版しているワールドウォッチ研究所をはじめとした、数多くの環境保護を訴える組織があります。そして、その影響もあって、いわゆる「環境教育」も日本よりはるかに進んでいます(1970年に「環境教育法」制定)。しかし、現政権になって以降、特に環境問題に対する取組に後退が見られます。その原因の一つとして、現政権の支持基盤がエネルギー産業を中心とした環境負荷産業にあることが指摘されています。彼らは環境対策が経済成長の鈍化をもたらすと主張していますが、果たしてそうでしょうか。

 確かに、新技術が開発され、軌道にのるまでのある一定期間は、経済成長にとってマイナスの圧力がはたらくことでしょう。しかし、オイルショック以降の日本車ブームのように、新技術が開発され、それが市場に普及するようになると状況は一変します。

 現在も、自動車業界は各社合従連衡を模索しながら、エコカーの開発に励んでいます。これらの取組は、ある特定の業界だけに通用するものではないはずです。

 アメリカのエネルギー産業等の現政権に影響力を持つ企業や団体も、そのことは理解しているはずです。

 それでは、なぜ環境問題は取組みにくいのでしょうか。その原因の一つとして、環境問題の不確かさが挙げられると思います。

 例えば、地球温暖化は本当に起こり、深刻な被害をもたらすものかというような問題です。確かに近年気温は上昇傾向にありますし、異常気象も頻繁に起こっています。しかし、ある学者によると、地球の46億年の歴史から見ると、このような気温の変化は頻繁にあると言われています。この地球温暖化については、現在科学者間において、確かに進んでいるということで合意は得られているらしいのですが、全会一致ではないようです。

 このような地球規模の問題は科学者でない限り分かり難く、一般人には確かめようがありません。一般人の我々は、ただ科学者の論争を眺めるしか仕方がありません。

  ここで、一つ見分ける方法があるとすれば、それは科学者のバックグラウンドを見るということです。かつて、水俣病の論争の時も、被害者側、加害者側に立つ科学者の間で論争が繰り広げられました。そのことで、水俣病の認定が遅れたことは広く知られています。この教訓を生かすとすれば、地球温暖化の際にも、被害を少なく見積もっている科学者のバックグラウンドを確かめるというのも、一つの手ではないでしょうか。

 個人レベルに落とした環境問題への取組の困難さについては、例えば、広瀬(1995)「環境と消費の社会心理学」名古屋大学出版会が詳しく説明しているので、興味のある方はご覧になって下さい。

 環境問題の恐ろしさは、問題の不可逆性にあります。つまり、一旦起こってしまうと取り返しがつかないということです。地球温暖化が確かに起こっていると全員が認めた段階では、おそらくもう何もかも手遅れでしょう。既に消滅している国家や都市もあることでしょうし、伝染病、飢餓、自然災害が常態となっていることでしょう。


 アメリカは以上のことをすべて理解しているはずです。理解した上で、無視しつづけているのです。

 日本にいる我々がアメリカに対してできることは、地球サミットのような公式の場で、アメリカを非難するほか、三宅氏のようにHPから訴えかけること、それからアメリカ市民とネットワークを張ることだと思います。

 アメリカは、最も民主主義的な国家であると自身では思っているようです。もし本当にそうなら選挙権をもつアメリカ市民の声は無視できないでしょう。アメリカの政権の支持基盤が、環境保護を推進する市民の手に移るように、我々は訴えつづけるしかないのではないでしょうか。

 三宅氏のように、英語が必ずしも得意ではない我々一般人にとって、英語で説得することは非常に困難ではありますが・・・。



■法善寺横町の火災に思う    
    02年09月14日
 平田たかあき(政治家)

 法善寺横丁が火災に遭い5日が過ぎました。

 連日の報道は一日も早い復興を望む記事ばかりであります。

 ところで街並みが復元出来ないとのことです。建築基準法に抵触するからだとのことでは余りにもお役所的ではないでしょうか。確かに平等性に欠けると言うのならそうでしょうが、そもそも道路後退とは道幅が狭く車が通れないとのことから端を発しているのではないのでしょうか。もともと車が通行しない法善寺横丁などは例外を認めても良いと思うのですが・・・。

 人間社会は歴史と文化の上に成り立ったものではないのでしょうか。公平、平等は全て一律の判断ではないはずです。いくら大きく成長する魚でも水槽の中で育てると大きくはならない。盆栽も畑で育てると大きく成長するということぐらいは誰でも承知のことです。

 既製品作りはお役所のお手の物でしょうが、教育でもこの考え方が子供の個性を無くした一因でもあるのではないですか。

 何でも型にはめ込むということを改めなければなりない時が来たと思います。

 大阪の文化を残すためにも、庶民の声が大阪市に理解を得られることを望みたいと考えております。



思うと行うは別、持つと使うも別物 
     02年09月15日
      萬 遜樹

 新作『日本外交の成否はH2Aロケットに懸かっている』を拝読いたしました。正直言って、これは凄いですね。ちょっとインターネットに載せるのは危険なくらいです。私なら躊躇しますね。


 ジャブの外交音痴を嗤う段はいつも通り大変啓蒙的です。日本のマスコミを一応「インテリ」(賢者)としておくと、日本のインテリは今回も残念ながらいつも通りの「ご近所外交」としか認識できていないということですね。

 おっしゃる通り「言葉」の問題は重要です。勝手な思い込みの「翻訳」は誤訳であり誤解です。人間(国と国)は言葉が通じ合わない、理解し合えないというのが、外交の基本ですね。


 次に、問題の「21世紀の種子島銃」の件です。これは誰の指令によるものでしょうかね。プルトニウムの隠匿も含めて。

 ともあれ、これで日本は本当に「潜在的核兵器保有国」となったのですね。おっしゃる通り、核物質と運搬手段(しかも先進的なそれ)が手に入ったのですから。

 主幹はご覧にならないであろうNHKの大河ドラマは、いつも「戦争をする男たちVS平和を望む女たち」が一つのテーマです。その「絶対平和論」たるや、学校や会社内のイジメ問題、ご近所のでのもめ事にさえ通用しないほどの呆れた空想主義です。ましてや、テポドンの北朝鮮には。


 何事も、思うと行なうは別、持つと使うも別のものです。「賢者」は無知無力ではありません。知っており行なうこともできる力(例えば軍事力)を、あえて行使しないところにその徳があります。

  とは言っても、その「賢者」は日本の何処に?



■情報提供者・発信源にあっていかるべきモラル
 02年09月16日
             居眠り狂四郎

 新作『日本外交の成否はH2Aロケットに懸かっている』、早速拝読いたしました。

 日本のマスコミの外交認識の甘さを鋭く指摘されており、読後の爽快感も一入です。

 サイトを開設することで、情報発信者としてインターネットの世界に関与する立場に私自身立っていることもあり、情報発信源・提供者にあってしかるべきのモラルについては、常に考えなければならないことだと認識しています。

 そのためか、メディアに対してもつい辛口になってしまうのですが、新作を読ませていただいて、情報の受け取り手のみならず、情報発信源・提供者も慎重であるべきである本来の姿がゆがんでいる現実を再認識しました。同時に、自分はしっかりしなければならないと、身の引き締まる思いです。

 いろいろと考えさせられる、素晴らしいご論ですね。



■内閣法制局長というのは、枢密院議長なのか?  
 02年09月16日
      泉 幸男(商社員)

 H2Aロケットの成功に「日本の弾道ミサイル保有」という意味を読み取られたのは、またひとつ目からウロコがポロリというところでした。

 こういう長期的国家戦略というのは、今の日本政府のいずこが継承者となっているのでしょう。

 まさかあの「集団的自衛権」の珍解釈をふりまわす内閣法制局か? あの珍なる、煮ても焼いても食えない姿こそ、巧妙至極の煙幕なのでしょうか。

 内閣法制局長の公邸だったところが、首相の公邸よりも立派だというので話題になっていましたが、やはりあの内閣法制局長というのは、枢密院議長なのでしょうね。

 そうすると、そういうあり姿を日本に作っていこうとする勢力はどこにいるのか、という次の不思議が生れてきます。

 いやぁ、まことに日本は奥が深い! 新聞の政治面など、前座の連中の右往左往しか書けていないのかも…。
 



■キツネとタヌキの合祀はあまりにも杜撰     
  02年09月30日
      萬 遜樹

 新作「中座全焼は芝右衛門狸の祟り?」を拝読しました。なかなか面白いですね。祟りと言い、慰霊による客の戻りと言い、また最期の「自爆」(言わば切腹?)と、実に「ニッポン」的であります。

 そう言えば、信太ギツネ、源九郎ギツネと、キツネの霊異譚は多い割に、タヌキものは少ないですね。それにしてもお書きの通り、キツネとタヌキの合祀はあまりにも杜撰ですね。明治末期の「稲八金天神社」並みです。芝右衛門狸さまのお怒りも尤もな話です。

 それから、「重陽」の語義、大変勉強になりました。



■もうひとつの「9.11」を読んで    
 02年11月23日
      萬 遜樹


 『もうひとつの「9.11」』です。そうでしたか。首相時代のプーチンがニュージーランドAPECでオサマ・ビン・ラディン氏を名指しして対テロリスト強攻策を宣言したのが、1999年9月11日でしたか。知りませんでした。主幹は本当に何でもよくご存知ですね。

 プーチンは、石油ルート争奪をめぐって、チェチェンを武断制圧することで権力の階段を駆け上っていったんですね。

 あわせて、リンクにあったG・コマロフスキー氏の『イスラム原理主義の挑戦を受けるロシア』読みました。これはまさに「眼から鱗」ものでした。イスラム原理主義運動の実際を勉強させて頂きました。これは大変に重要な内容を含んだ講演ですね。

 主幹が日頃から主張されている通り、宗教・民族問題のほとんどは、実は政治問題だと思い知らされました。イスラムはもう一つのグローバリズムですね。これで、21世紀の戦争がアメリカン・グローバリズムとウンマ・グローバリズムの対決だと分かりました。




■一種の母胎回帰の願望では?         
 02年12月03日
      菅田正昭 (著述業)

 『主幹の主観』の「お墓と子宮の意外な関係」(11/27)を読んで、そういえば、ハカ(墓)という語も、ハハ(母)とカカ(嬶)との中間に位置する語である、と思いました。

 もちろん、ハカの語源は「はかなし」の義である、という説もあるようです。そして、墓所(ボショ)も、偶然かもしれませんが、母所(ボショ)と音韻が同じです。やはり、ここには、母胎回帰の願望があるようです。
 
 そうした視点に立つと、天の岩戸も、イザナギの黄泉国探訪も、一種の母胎回帰の願望から発した神話のように思えます。


 ちなみに、琉球列島と本土側の鹿児島との間にある屋久島の、とくに宮之浦から永田にかけての墓地には、霊屋の壁や墓の側面に“先島丸”と記された絵が描かれています。

 本来は帆掛け舟だったようですが、最近は、子どもが画用紙や板に汽船やジェットフォイルを描いて、お盆の時に持って行って先祖の霊を供養しているようです。

 この先島丸の行く先の“先島”は、沖縄のいわゆる先島ではなく、じつは、もっと鹿児島よりの甑島を指すといわれていますが、おそらく、その根底には、亡き人の霊がこの先島丸に乗ってニライカナイ=常世へ行く、という信仰があったと思われます。

 生みの母なる海の、海原(産腹)の子宮の羊水の海へ回帰するのでしょう。また、奄美にも、この先島丸の風習がある、と聞いたことがあります。
 
 『主幹の主観』を読んでいるうちに、いろいろなことが次々と思い浮かんできました。ありがとうございます。


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